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歪んだ鏡が割れる時
第1章 第一章
ひとり小舟に乗り、"悲愴"の海を漂う。

僅かにひび割れた船底から海水が侵入してくる。日は西に傾き、助けは来ない。
水かさが増して舟は傾き、なす術もない私は空に浮かぶ赤い月を見た。
舟は沈む。冷たい海の底へゆっくりと堕ちていく。
その船底を、別の私が下から眺めていた。

息苦しさが付きまとう。

それは、楽曲の重々しさに導かれている訳ではなく、隣にいる男のせいだった。

私の手は彼の手の中にあった。

振りはらえない自分が怖い。







──────────


興奮覚めやらぬ観客達が、次々に屋外へと吐き出されていく。人の流れは信号に塞き止められ、青に変わるとまたゆるゆると進んだ。

月が高くなり、薄い雲間に白く光る。

来た道を戻り、当然のようにさっきのホテルに向かう。

「バーから見える夜景が好きでね。ほら、この前君から連絡があった時もそこにいたんだ」

「そうだったんですか」

「案内するよ」

帰ると言えずにいた。

この人は、私に家庭がある事など忘れてしまっているのだろうか。

エントランスを抜け、明かりの落ちたラウンジに目を向けると、数時間前の彼の姿が見えた。

私の前にひざまづいた男。

鳴る筈のないピアノから、リストのあの曲が流れてくる。

「あの……」

「ん?」

「始めから私の為だったんですか?」



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