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危険な香りに誘われて
第17章 一場春夢
5時になると経理課の扉を開ける男がいる。板倉だ。

「真紀ちゃん、帰る時間っスよ」

「定時は、5時半だよ」

真紀は、壁の時計をチラッと見る。板倉は、首を横に振った。

「だめだめ、俺が賢さんに怒られちゃうんで。ほら、帰りますよ」

「はぁ」

賢也の作った門限は、いまだ健在。真紀は、仕方なく帰り支度を始めた。

「板倉さんの実家、お寺なの?」

車の中で、何気なく問いかけると。

「賢さんから聞いたんですか?はい、爺ちゃんも親父も兄貴もみんな坊主でした」

板倉の言葉が引っ掛かった。

「えっ、でした?今は、違うの?」

「あっ、坊主です、坊主。ちょっと言い間違えただけっスよ。そんな突っ込まないでくださいよ」

「板倉さんは、お坊さんになろうと思わなかったの?」

「俺、バカだし、田舎も修行も嫌で山口から逃げてきたんです」

「板倉さんの田舎って、山口なの?」

「あーっ、真紀ちゃん。ほら、あそこ。あの店。今流行りのラーメン屋とかで、雑誌に載ってたところですよ」

まるで、話をすり替えるように、板倉は、急に大きな声を出し、窓の外を指差した。

「俺、ラーメン好きなんですよ。今度、皆で行きませんか?」

「う、うん。そうだね」

板倉は、壊れたスピーカーのように、どうでもいいような話をずっとしていた。
ミラー越しに見える顔が、すごく寂しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
真紀には、板倉が、無理に明るく振るまっているように見えて、仕方なかった。
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