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kiss
第15章 Hair

 拓と別れたあとの時間は長い。
 途端に口を開かなくなるから。
 あいつの、バカみたいなあいつのマシンガントークの合間を射撃すんのが俺には心地いいんだ。
「岸本、手止まってるぞ」
「すみません」
 上司との会話も同僚との会話もこんなもの。
 高卒に劣等感を抱くことなどない職場だが、別段楽しみがあるわけでもない。
 今の生活を続けるために金を稼ぐ。
 ババアに二度と頼らないために。
 拓は、楽しそうだな。
 大学の講義、サークル、友達。
 あいつの周りには常に人がいる。
 小学校からそうだった。
「お先失礼します。お疲れ様です」
 帰りのバスに乗り込んだ瞬間から、心が溶けていくような解放を感じる。
 あと二十分で奴に会える。
 毎日こんなことを思いながら仕事をしてるなんて、大バカ野郎じゃね。
 俺。

「……は?」
「だから! 今日は恋人の日なんだって!」
 玄関を開けて突然撃ち鳴らされたクラッカーに呆然としている俺に拓がはにかむ。
「その……さ。夕飯すんげえの作ったから。とりあえず入ってくんね?」
 やめろよ。
 なに恥ずかしがってんだよ。
 入りづれえだろ、こんなん。
 ぎこちなく拓の隣をすり抜ける。
 芳ばしい薫りがくすぐる。
「うおっ、すげ」
「だっろーー!? オレめちゃくちゃ頑張ったんだぞ! 角煮に牛丼に肉吸い! 極め付きは骨付きカルビっ。酒池肉林を再現してみたかったわけ」
「酒池肉林の肉はその肉じゃねえよ」
「なんでもいーから座れよ、飲み物なんにする? コーラとビール」
「……コーラ」
 促されるままに丸テーブルを二人で囲う。
 あ。
 嫌だな。
 フラッシュバックしそうじゃないか。
 あの朝を。
「てめえのも美味そうだな」
「ホイル焼きにグラタンにキッシュな。これ二時間くらいかかったんだぜ?」
「コンロ一つしかないのによくやったな」
「んひひ。忍が誉めてる」
「おい、気色悪く笑うなよ」
 差し出されたコーラを受けとる。
 目の前のご馳走よりも、拓の淡いグリーンのシャツに目が行ってしまう。
 汗ばんだ布地。
 こんな時期によく長時間も料理を。
 俺のために。
「いただきまーす」
「あ。待って。写真撮る。肉と美人」
「待たん」
「あっ、そのまま! くわえたままがいい!」
「あほ」
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