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kiss
第3章 lip
「浅宮楓」
「はい」
 低い声にクラスがざわつく。
 振り向いた男子を僕は無機質な眼で見返した。
 慣れている。
 楓という名で、勝手に作り上げられた僕の虚像には慣れている。
 こんなもの、自己紹介であっという間に崩れ去る。
 その後は好奇の的。
 せっかく引っ越して知り合い一人いない高校に進学したというのに、僕はまた同じ温度の中に浸かってる。
「楓くんって女の子みたいな名前だね」
「いいなぁ、可愛い名前」
「つーか、顔も女っぽくね」
 気軽く触って来た男子を睨む。
「こわっ」
 そいつが戻って行ったグループがはしゃぎたてる。
 僕は横髪を引っ張って、彼らを視界から消した。
 首筋までのうねった髪。
 母譲りのこの髪も、僕を虚像に近づける。
 耳を塞ぐ。
 この鬱陶しいばかりの世界だって、ひと月も立てば僕に染まる。
 楓なんて女性、いなくなる。

 五月。
 予想通り、行動を共にする友人はいないが、平穏な生活がやってきた。
 冗談混じりにセクハラしてくる奴もいなくなった。
 静かな毎日。
「楓、学校はどう?」
 楽しいよ、母さん。
 僕の体温と同じく35℃の世界。
 寒くはないけど、他人とは交わらない。
 そんな毎日。
 変化は下駄箱からやってきた。
 上履きの下に手紙が入っていた。
 嫌がらせかと思い、閉じる。
 放課後、その上にメモが足されていた。
―どうか、読んでください―
 読むだけならいいか。
 僕はメモごと手紙を取り出した。
 帰りの電車に揺れながら、それを開いてみる。
 この時間は客もそこまで多くはないから、端の席で密かに読む。
―外であなたを見かけて、どうにか名前を知ることが出来ました。良かったら、メールをください。井原―
 書いてあったメールアドレスを眺める。
 校外で見かけた?
 キョロキョロと電車を見回す。
 まあ、こことは限らないか。
 手紙をポケットに突っ込み、いつものように浅い眠りについた。

 玄関を開けると、母が出迎える。
 珍しい。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「今日ね、ちょっとご飯失敗しちゃったから、パンで許してくれる?」
「いいよ」
 だからか。
 息子のご機嫌なんかとらなくていいのに。
 僕はパンを流し込み、部屋に行く。
 リビングにいる時間は一日五分。
 鍵を締め、ベッドに寝転がった。
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