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kiss
第3章 lip
 いつもは絶対断るこの言葉に、僕は素直に頷いた。
 電車が走り出す。
「楓、好きだ」
「……なんて答えていいかわかんないよ」
 翔が手を取り、エレベーターの陰に誘い込む。
「俺のこと好き?」
 急に言われてたじろぐ。
 しかし、僕は微笑んだ。
「他の人よりは好き」
 チュッと短くキスをされた。
 あまりに一瞬で、目を閉じる隙もなかったくらいに。
 あの男との不快な口づけとの違いに驚く。
「楓も俺が好きだ」
「なに笑ってんの」
「嬉しいから」

 段々世界が熱くなる。
 僕も染まってゆく。
 不覚にも。
「あ、そうだ。これ」
 翔は帽子を頭に乗せた。
「さっき落としていっただろ」
「……気づかなかった」
 お気に入りの帽子。
 それが戻ったことよりも、翔が被せてくれたことに頬が緩んだ。
 こんなの、母さんにもされたことがなかったから。
 鍔を摘まんで、少し下にズラす。
 それから翔を見上げると、一人で何か盛り上がっていた。
「……なに?」
「いや。その、マジでその帽子被ると可愛すぎて」
「じゃあ、取る」
「取んなって!」
「翔は女の子らしい僕が良いわけ」
 しかし、彼は聞いていなかった。
 僕を抱き締めて、ぴょんぴょん跳ねる。
「楓が翔って呼んだ!」
「あの……苦しいんだけど」
 感動している彼には届かない。
 僕は帽子が落ちないよう押さえつけて、フッと笑った。
 興味を無くした帽子なのに。
 可愛いって言われて愛着が沸くなんて。
 どうかしてる。

「楓って門限あるのか」
「……六時」
「はやっ。何も出来ねーじゃん」
「冗談だよ」
 翔が口を曲げる。
 すぐに笑顔に変わる。
「じゃあさ、フリーでカラオケでも行かないか」
「僕は賛美歌しか歌えないよ?」
「なんだソレ。超聴きたい」
 聴きたいのかよ。
 断る口実にしてきた武器なのに。
「アヴェなんとかとか?」
「マリアね」
 二人で駅の近くのショッピングモールに入る。
 カラオケで翔が受け付けしている間に、メニューを眺めた。
「なんか食べるか?」
「いい。歌う前に食べると声出ないし」
「ほ、本格的だな」
「引いた?」
「いや、すげーな」
 ドリンクを注ぐ。
 ストローを廊下でくわえる。
 生まれて初めての一人じゃないカラオケに、僕はかなり高揚していた。
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