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月の川 〜真珠浪漫物語 番外編〜
第1章 天使の手のひら
車の中から初めて見る東京の景色は、まるで外国のようだ。
ベルを鳴らしながら走る路面電車、バス、タクシーや黒く光る車、煉瓦造りの高い建物、煌びやかなレストランやカフェ、洋品店…。
街を行き交う人々の華やかな服装にも目を見張らずにはいられない。
…今朝までいたあの漁村と同じ日本なのか…。
昨日、教会で最後の別れを交わした神父は念を押すように繰り返した。
「…北白川伯爵は慈悲深い方です。君を帝大に通わせ、尚且つお屋敷の執事に育てようとされている。…ありがたいことです。正にこれは神のお導きです」
…何が神のお導きなものか。
これは全て僕がひたすら努力をした結果じゃないか。
月城は白けた気持ちで神父の言葉を聞いていた。
家が貧しくて尋常小学校までしか通えなかった月城の唯一の勉強の場は、教会の中にある小さな図書室だった。
そこには神父が集めた東京の大学や高校から払い下げられた古い本や教科書、参考書などが山と積まれていた。
小学校卒業後は、近くの旅館で下働の仕事をしていた月城の唯一の楽しみであり慰めは、この図書室に篭り、これらの本をかたっぱしから読み耽ることだった。
…本の世界に浸っている間は辛い現実を忘れられた。
難しい数式や英語は月城にとってはわくわくする謎解き物語みたいなものだった。
そうやってひたすら本を読み、参考書を解き、勉強を続けているのを見た神父が、ある試験を月城に受けさせた。
それは給費生募集の試験であり、それに通れば奨学金で希望の大学に通えるというものだった。
月城はその試験に見事、首席で合格した。
…そして政府から視察の任務を託されていた北白川伯爵がこの小さな漁村を訪れたのだ。
伯爵は月城の粗末な実家にも足を運び、母親に挨拶をした。
「優秀な息子さんを是非、東京の大学に通わせ、私の屋敷でいずれは執事として育てたい」
雲の上のような身分の人に夢のような話をされ、母親はひたすら恐縮し、息子の僥倖に泣き崩れた。
博打打ちの父親が借金を残し、失踪して以来初めて、母親は嬉しさから涙を流していた。
窓の外の景色は次々に変わって行く。
華やかな東京の風景を見つめている内に、月城は薄皮を剥ぐように軽やかに解放されて行く自分を感じた。
…僕はもう自由なんだ。
あの寒々しい漁村で鬱々と過ごすこともない…。
自由だ…!
自由なんだ…!
月城の唇に初めて笑みが浮かんだ。
ベルを鳴らしながら走る路面電車、バス、タクシーや黒く光る車、煉瓦造りの高い建物、煌びやかなレストランやカフェ、洋品店…。
街を行き交う人々の華やかな服装にも目を見張らずにはいられない。
…今朝までいたあの漁村と同じ日本なのか…。
昨日、教会で最後の別れを交わした神父は念を押すように繰り返した。
「…北白川伯爵は慈悲深い方です。君を帝大に通わせ、尚且つお屋敷の執事に育てようとされている。…ありがたいことです。正にこれは神のお導きです」
…何が神のお導きなものか。
これは全て僕がひたすら努力をした結果じゃないか。
月城は白けた気持ちで神父の言葉を聞いていた。
家が貧しくて尋常小学校までしか通えなかった月城の唯一の勉強の場は、教会の中にある小さな図書室だった。
そこには神父が集めた東京の大学や高校から払い下げられた古い本や教科書、参考書などが山と積まれていた。
小学校卒業後は、近くの旅館で下働の仕事をしていた月城の唯一の楽しみであり慰めは、この図書室に篭り、これらの本をかたっぱしから読み耽ることだった。
…本の世界に浸っている間は辛い現実を忘れられた。
難しい数式や英語は月城にとってはわくわくする謎解き物語みたいなものだった。
そうやってひたすら本を読み、参考書を解き、勉強を続けているのを見た神父が、ある試験を月城に受けさせた。
それは給費生募集の試験であり、それに通れば奨学金で希望の大学に通えるというものだった。
月城はその試験に見事、首席で合格した。
…そして政府から視察の任務を託されていた北白川伯爵がこの小さな漁村を訪れたのだ。
伯爵は月城の粗末な実家にも足を運び、母親に挨拶をした。
「優秀な息子さんを是非、東京の大学に通わせ、私の屋敷でいずれは執事として育てたい」
雲の上のような身分の人に夢のような話をされ、母親はひたすら恐縮し、息子の僥倖に泣き崩れた。
博打打ちの父親が借金を残し、失踪して以来初めて、母親は嬉しさから涙を流していた。
窓の外の景色は次々に変わって行く。
華やかな東京の風景を見つめている内に、月城は薄皮を剥ぐように軽やかに解放されて行く自分を感じた。
…僕はもう自由なんだ。
あの寒々しい漁村で鬱々と過ごすこともない…。
自由だ…!
自由なんだ…!
月城の唇に初めて笑みが浮かんだ。