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こじらせてません
第1章 捕縛
黒居が言うには、農業を支えている大部分は農学理論ではなく、農家のノウハウなのだそうだ。「手についた職」というやつで、とりわけ日本の文化はそういったImplicit Knowledge、すなわち暗黙知が醸成しやすく、非常に高度な技術を持った担い手が数多くいる国であるという。
しかしいっぽうで、その技量を得るには多くの時間を要する。新たな担い手、つまり若者の従事者を確保できず、休耕地は増えるばかりだ。原因は収入の不安定さ、投資に見合わぬ生産性の低さ、農業政策による制約の多さなど様々あるのだが、ならば、日本で離農に歯止めをかけることに腐心するよりも、アフリカ地域で農業技術者を育てるほうがグローバル的に見ても有効ではないか。アフリカには、農業の従事者が足らないのではない。熟練した技術者が足らないのだ。もちろん、日本とアフリカでは、気候も土壌も全く異なる。政情にも問題がある。だが、コンピュータ処理が可能なデータを集合分析することで示される傾向と特性に、農家のノウハウがうまく融合されれば、時空を超えた農業発展が可能になる。いま、食料確保に苦しむ地域の人間が、いずれ世界の食料供給の担い手になる――
そう思うとワクワクしないか?
黒居にとうとうと語られるまでもなく、データ分析はトレンドだ。あらゆるビジネスに応用されているから、知らないわけではない。活用のしようによっては、業界の常識も覆すような価値転換が起こりうる。
そんな未来にワクワクしないわけではない。
だが、黒居ほどではない。
むしろ出会った時のまま、いや、その時に抱いていた夢をより具体的なものにして、目をきらめかせて語り続ける黒居にワクワクしてきた。困窮している人々を助けたい、という熱意とともに「地球を救ってやるぞ!」という、純朴なヒーロー願望を熱く語られると、心が和んだ。
そうやって、彼の夢を聞いてきた。
しかし夢は、その実現までに当人の身を削る。三年ぶりに生で見た黒居の顔つきには、明らかな疲労が見て取れた。
ウーロン茶がやってきて、会話が途切れた。手に取り、彼のグラスにぶつけることなく口をつける。
喉が渇いていた。
しかしいっぽうで、その技量を得るには多くの時間を要する。新たな担い手、つまり若者の従事者を確保できず、休耕地は増えるばかりだ。原因は収入の不安定さ、投資に見合わぬ生産性の低さ、農業政策による制約の多さなど様々あるのだが、ならば、日本で離農に歯止めをかけることに腐心するよりも、アフリカ地域で農業技術者を育てるほうがグローバル的に見ても有効ではないか。アフリカには、農業の従事者が足らないのではない。熟練した技術者が足らないのだ。もちろん、日本とアフリカでは、気候も土壌も全く異なる。政情にも問題がある。だが、コンピュータ処理が可能なデータを集合分析することで示される傾向と特性に、農家のノウハウがうまく融合されれば、時空を超えた農業発展が可能になる。いま、食料確保に苦しむ地域の人間が、いずれ世界の食料供給の担い手になる――
そう思うとワクワクしないか?
黒居にとうとうと語られるまでもなく、データ分析はトレンドだ。あらゆるビジネスに応用されているから、知らないわけではない。活用のしようによっては、業界の常識も覆すような価値転換が起こりうる。
そんな未来にワクワクしないわけではない。
だが、黒居ほどではない。
むしろ出会った時のまま、いや、その時に抱いていた夢をより具体的なものにして、目をきらめかせて語り続ける黒居にワクワクしてきた。困窮している人々を助けたい、という熱意とともに「地球を救ってやるぞ!」という、純朴なヒーロー願望を熱く語られると、心が和んだ。
そうやって、彼の夢を聞いてきた。
しかし夢は、その実現までに当人の身を削る。三年ぶりに生で見た黒居の顔つきには、明らかな疲労が見て取れた。
ウーロン茶がやってきて、会話が途切れた。手に取り、彼のグラスにぶつけることなく口をつける。
喉が渇いていた。