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こじらせてません
第1章 捕縛
捨てるのがもったいないが、この画も長期記憶に書き込まれるだろう、いろいろなことがあった、記憶容量は大丈夫だろうかと思いながら、ティッシュに丁重にくるんでゴミ箱に置いた。新たな下着とタンクトップだけをまとい、ベッドへ戻る。彼はまだ全裸である。目覚めた時に、相手がガッチガチに着込んでいては、かわいそうなことくらいはわかっている。
傍らに割り座で、彼の顔を眺めた。
もっと激しくしたかったかな。
いろんなとこ触ったり、揉んだり、舐めたりしたかったかな。
触られたり、揉まれたり、舐められたりもしたかったかもしれない。
触り合い、揉み合い、舐め合うほかも、何かしたいことあるのだろうか。
思春期終盤の男の子への勝手な想像を巡らせていると、目的遂行のために不自由をしいたことが、とてつもなくすまなく思えてきた。
「ン……」
アキラが寝返りを打つ。
とりとめのない推測は、罪悪感を呼んだ。罪悪感は省察を誘う。
しかし、ミサは省察することを拒否した。
罪から目を逸らしたわけではない。
「……ミサさん」
「おはよ」
アキラが目を覚ました。
自分がいかに今日一日を振り返っても、アキラには全く関係のないことなのだ。
社会学習が今日で終わったアキラは、彼の日常へと帰っていく。休暇で避暑地を訪れていたようなものだ。だが、せっかく年上の女とかりそめの快楽を得る機会を得たのに、マンガの中でペットにされていた少年に似ているからといって、事情も知らされず同様に扱われて、不完全燃焼だったろう。
だから彼が目を覚ましたら、「ごめんね」を言うつもりだった。
そして彼は、目覚めた。
「ありがとう」も付け加えるつもりだった。
何年か経って、彼が「いやな女だったな」と思い出すのだとしても、理想的な長期記憶を与えてくれたことに感謝したい。その事情を話すと長くなる。長くなると、離れがたくなる。きっと、寂寞につぶされる。
「好きです」
省察しても、詮ないことなのだ。
経験学習理論(David A. Kolb,1984)によれば、Concrete Experience、すなわち具体的な経験をし、Reflective Observation、すなわち省察を行ったら、次のフェーズは、Abstract Conceptualization──抽象概念化だ。
傍らに割り座で、彼の顔を眺めた。
もっと激しくしたかったかな。
いろんなとこ触ったり、揉んだり、舐めたりしたかったかな。
触られたり、揉まれたり、舐められたりもしたかったかもしれない。
触り合い、揉み合い、舐め合うほかも、何かしたいことあるのだろうか。
思春期終盤の男の子への勝手な想像を巡らせていると、目的遂行のために不自由をしいたことが、とてつもなくすまなく思えてきた。
「ン……」
アキラが寝返りを打つ。
とりとめのない推測は、罪悪感を呼んだ。罪悪感は省察を誘う。
しかし、ミサは省察することを拒否した。
罪から目を逸らしたわけではない。
「……ミサさん」
「おはよ」
アキラが目を覚ました。
自分がいかに今日一日を振り返っても、アキラには全く関係のないことなのだ。
社会学習が今日で終わったアキラは、彼の日常へと帰っていく。休暇で避暑地を訪れていたようなものだ。だが、せっかく年上の女とかりそめの快楽を得る機会を得たのに、マンガの中でペットにされていた少年に似ているからといって、事情も知らされず同様に扱われて、不完全燃焼だったろう。
だから彼が目を覚ましたら、「ごめんね」を言うつもりだった。
そして彼は、目覚めた。
「ありがとう」も付け加えるつもりだった。
何年か経って、彼が「いやな女だったな」と思い出すのだとしても、理想的な長期記憶を与えてくれたことに感謝したい。その事情を話すと長くなる。長くなると、離れがたくなる。きっと、寂寞につぶされる。
「好きです」
省察しても、詮ないことなのだ。
経験学習理論(David A. Kolb,1984)によれば、Concrete Experience、すなわち具体的な経験をし、Reflective Observation、すなわち省察を行ったら、次のフェーズは、Abstract Conceptualization──抽象概念化だ。