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こじらせてません
第2章 馴致

落ち着いて考えると、これは成立していない。
「調教」という言葉の歴史に思いを馳せたとき、馬に対して最初に使われたのではないか、とミサは推察した。
文献があるわけでも、研究結果が手元にあるわけでもない。あくまでも推察であったが、自然な発想ではないかと思われた。
人が自分で行うよりも、より速く、より遠くへ、そしてより長い時間継続して移動するために、野生獣であった馬を、その道具として使うことにした。
人を乗せても振り落とさず、指示した時に走り、指示した方向へ向きを変え、指示した時に止まる。
乗った者の意図に沿って動かしたい。
もともと馬は、人の意図を汲んで行動するようには生まれてきていない。
それが野生というものだ。
なので人は、馬を訓練した。そしてその行為を「調教」と呼んだ。
この言葉は、サーカスに出演する猛獣や、ウォーターショーに出演する水獣にも用いられる。
つまり調教は、野生獣に直接的ないしは間接的な価値を提供してもらうという、人間都合な理由で行われるものである。
調教をしなければ、彼らは人へ価値を提供しない。
訊いてみなければわからないし、訊くすべもないが、馬も、人を乗せなくて良いのであれば、率先して人を乗せないだろう。
なにも好き好んで、ライオンは体毛が焦げるかもしれない火の輪をくぐりたくはなく、イルカは水面から飛んでまで高いところにあるボールを口先で突つきたくないだろう。
本質的には、彼らは調教されることを望んでいない。
そんな彼らを「ペット」と呼んでよいのだろうか。
実に違和感があった。
彼らはペットではない。
自覚があるかどうかは訊いてみなければわからないし、訊くすべもないが、ミサが外から眺めた時の、彼らの身分は「獣畜」だった。
「調教」という言葉の歴史に思いを馳せたとき、馬に対して最初に使われたのではないか、とミサは推察した。
文献があるわけでも、研究結果が手元にあるわけでもない。あくまでも推察であったが、自然な発想ではないかと思われた。
人が自分で行うよりも、より速く、より遠くへ、そしてより長い時間継続して移動するために、野生獣であった馬を、その道具として使うことにした。
人を乗せても振り落とさず、指示した時に走り、指示した方向へ向きを変え、指示した時に止まる。
乗った者の意図に沿って動かしたい。
もともと馬は、人の意図を汲んで行動するようには生まれてきていない。
それが野生というものだ。
なので人は、馬を訓練した。そしてその行為を「調教」と呼んだ。
この言葉は、サーカスに出演する猛獣や、ウォーターショーに出演する水獣にも用いられる。
つまり調教は、野生獣に直接的ないしは間接的な価値を提供してもらうという、人間都合な理由で行われるものである。
調教をしなければ、彼らは人へ価値を提供しない。
訊いてみなければわからないし、訊くすべもないが、馬も、人を乗せなくて良いのであれば、率先して人を乗せないだろう。
なにも好き好んで、ライオンは体毛が焦げるかもしれない火の輪をくぐりたくはなく、イルカは水面から飛んでまで高いところにあるボールを口先で突つきたくないだろう。
本質的には、彼らは調教されることを望んでいない。
そんな彼らを「ペット」と呼んでよいのだろうか。
実に違和感があった。
彼らはペットではない。
自覚があるかどうかは訊いてみなければわからないし、訊くすべもないが、ミサが外から眺めた時の、彼らの身分は「獣畜」だった。

