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君がため(教師と教育実習生)《長編》
第5章 しのちゃんの受難(三)

「なんでって、帰り道ですし、送ってくれるって言われたので」
「稲垣の家は逆方向ですよ」
「……え? そうなの?」
「なに、騙されているんですか。稲垣が小夜先生を好きなことくらい、わかっていたでしょう?」

 ぎゅう、と強く抱きすくめられる。
 三回目ともなると、ちょっと余裕が出てくる。今回は背もたれ越しだし、ね。

 ちなみに、稲垣くんの気持ちには、何となく気づいてはいたけれど。「今でもそうなのか」はわからなかったわけで。

「で、一年後にまた口説いてくださいって言ったわけでしょう? もう、ほんと、馬鹿!」
「それは言っていませんが」
「教師になれたら付き合えるって、稲垣めちゃくちゃ張り切っていましたよ。もう、これ以上ライバル増やさないでください! 俺が大変なんです!」

 何が大変なのかよくわからないけど、里見くんの手をぽんぽんと軽く叩く。

「指導案、数学に加えて総合まで増えたんですから、頑張らないと」
「……小夜先生」

 耳元で囁かれるとゾクゾクしてしまう。困ったことに、私は耳が弱いのだ。
 私の反応を見て、里見くんはそれを知っている。バレている。困ったことに。

「キスさせてください」
「駄目です。無理です」
「俺のこと嫌いですか?」
「嫌いとか、好きとかじゃなくて」
「俺は小夜先生のこと好きですよ」
「それは、わかっ」

 お願いだから、耳元で、愛を囁かないで。
 体が熱を持ってしまう――。

「思ひわび さても命は あるものを」

 道因法師……今度は、私を責める歌を選んだのね。
 下の句を、ぼそりと呟く。

「……憂きにたへぬは 涙なりけり」

 冷たいあの人を想って嘆いてばかりいる。命も絶えてしまうかと思ったけれど、辛さに堪えきれなかったのは涙だったよ。


 あなたはなんて、つれない人――。
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