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君がため(教師と教育実習生)《長編》
第5章 しのちゃんの受難(三)
いつも通り部活動を早めに切り上げて、私は里見くんより先に国語準備室へ戻る。さっさと明日の準備と日誌の確認、佐久間先生から頼まれていた書類を作らないと。
ノートパソコンを開いて椅子に座ると、そばに置いてあったスマートフォンの通知ライトが点滅していることに気づく。
『来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に』
藤原定家とはまた渋いところを。
そういえば、今日は抱きしめられもしなかったし、歌も詠まれなかったなと思い出す。
「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」
来ない人を待っています。風のない夕方に、松帆の浦で焼いている藻塩のように、私の身はあなたに恋焦がれているのです。
――早く、来て。
「来て、と言われても、無理だよなぁ」
どんなに求められても、私はあなたの胸に飛び込んでいく気はないよ、里見くん。
バックキーを押したときに、もう一件メッセージがあることに気づく。タップして、一瞬、背筋に嫌なものが走る。
『なんで稲垣と一緒に帰ったの? 俺のことはもうどうでもいいの?』
礼二……なんで、それを知っているの。
別れた男から来るメッセージにはろくなものがないことくらい知っているけど、これは、酷すぎる。私を尾行(つけ)ていたのか、生徒に見られていたのか、定かではないけれど――ぞっとする。
『会いたい』
さらにメッセージが増える。
平日のこの時間は、彼は仕事中であるはずなのに、なぜメッセージを書く暇があるのか。私にはわからない。