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エリュシオンでささやいて
第2章 Lost Voice
「随分と殊勝だな」
「ひととしての礼儀です」
「礼なら、俺の顔を見て言え」
「調子に乗らないで下さい。これが最大限の譲歩です」
「上原」
「音楽家なら、耳で誠意の音を受け取って下さい」
「お前なあ……。こっち向け」
「………」
「こっち向けよ」
少し悲しそうな声音の気もしたけれど、あたしは無視。
「……仕事の話をしたい。私怨は忘れろ」
私怨ね、確かにそうかもしれないけど。
「仕事なら仕方ありません。なんでしょう」
あたしは仮面の笑みで早瀬の顔を見上げた。
泣きぼくろの甘い王子様の外貌をした不遜な王様は、片眉を跳ねあげて不快さを露わにしたけれど、そんなのどうでもいい。
「………」
「………」
なぜなにも言わぬ!
……沈黙が続くことに、あたしが耐えきれなかった。
こうして、密閉された空間で顔を突き合わせたくはないのだ。
だからあたしは目をそらして言う。
「用があるなら、さっさと話をして下さい」
「……」
「この、会社一嫌われている落ちこぼれと、なにを話したいのです? 話がないのなら……」
「お前は落ちこぼれじゃねえよ、周りに見る目がねぇだけだ」
「は?」
「……お前のことは、俺が一番にわかっている」
早瀬は思い詰めたような物憂げなダークブルーの瞳を外に向けた。
おかしな独占欲ね。
昔ヤリ捨てた女を今も性処理にして、そんなものに理解があるのなら、それは優しさや理解力ではなく、ただの残忍なサディストの自分勝手な所有欲。
「すみません。あたしはあなたのことは理解出来ませんので、そのお言葉には少々理解しかねます」
再びあたしも反対側の外を見ようとしたら、手を取られ
「なっ」
彼の指が、動かなくなった左手の薬指を弄る。
カッとなってあたしは彼の頬を叩いてしまった。
「……申し訳ありませんが、しばらく話しかけないで下さい」
怒りを帯びた語調で言った後、早瀬の顔が傷ついたように歪んだのを横目で見た。
……なんで傷ついた顔をするの?
あたしが悪いとでも?
逆恨みをするなと?
それとも、なにをされても他の女のように、蕩けた顔で夢中になれと?
過去を忘れたい。
だから、必要以上に近寄らないで欲しい。
ふたりだけの狭い空間が、たまらなく辛かった――。