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エリュシオンでささやいて
第2章 Lost Voice
……本当に女泣かせだね。
九年前なら、喜んでころっと行ってたよ。
この世で理解しあえるのは、あたしと早瀬だけだって。
ふたりだけの世界を夢見ていた。
だけど、これは仕事。
早瀬の理想に、あたしが必要だったというだけのこと。
九年前なんて、忘れればいいのにね。
あたしのことなんか、突き放せばいいのに。
どんな思惑があるのかわからないけれど、
――俺の曲に、お前が選んだ歌声を乗せたいと思わねぇのか?
早瀬の音は、悔しいけど素敵で称賛出来るから。
初めて聞いた時、あたしは涙して……早瀬が作ったのだと後で聞き、その才能に驚嘆した。
交わることがないと思っていた、あたしと早瀬。
交わって出来る、未知数のHADES。
あたしの力がどこまで役立つかわからないけれど、早瀬に無能だと呆れ返られるまで、頑張ってみようか。
あたしも、このまま燻りたくない。
「たらたらしねぇで、働けよ?」
エリュシオンの王様は、斜め上から鼻を鳴らすようにして言う。
「……あたし、いつもたらたらしてやる気無さそうなんですか?」
「やる気の問題じゃねぇよ。やる気なら人一倍あるだろうさ。お前には貪欲さがねぇんだ。言われたことを無難にこなすことばかり考えて、自己表現力が弱い。土台と質はいいのに、これでは宝の持ち腐れだ。そのまま年食って死ぬつもりか」
「……っ」
「言っただろう? お前のことは、俺が一番にわかっている。誰よりもだ」
……不遜な男。
だけどきっとひとは、彼のこうした揺らぎない超然としたものに惹かれていくのだろう。
そこまで言われて、個人的感情で逃げるわけにはいかない。
あたしだって、一度は遠ざかろうとしたとはいえ、元社長に仕込まれた音楽に対する誇りがある。
至高の音楽を、皆に提供したい。
そして多分それは、天才音楽家の早瀬なら可能にする――。
――俺の曲に、お前が選んだ歌声を乗せたいと思わねぇのか?
あたしは伸ばしていた、肩にかかる髪をバッグから取り出したバレッタで止めて、耳を外気にさらした。それが、彼の要求を飲んだ証。
周囲を見渡せば、立体的に合唱が聞こえてくる。
爆音が耳にうるさいが、それでも音の聞き分けは出来る。
さあ、たくさんの音よ。
あたしに純正律を奏でられる音を導いて――。