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エリュシオンでささやいて
第1章 Silent Voice
……そんな至福の時は、すぐに終わる。
次の日、あたしは見てしまったんだ。
彼との思い出が詰まった音楽室で、彼が他の女に情熱的なキスをしているのを。
彼はあたしを見ても焦ることなく、平然と言った。
「お前、もう要らないから」
彼の隣には、ナイスバディな美女。
「有名人の娘だからお前のバージンに価値があった。それがなくなれば、お前に価値はねぇ。性処理でもいいって言うなら、抱いてやるけど?」
初エッチの次の日、告白すらしていないあたしを無価値だとフッた彼は、呆然と立ち竦むあたしの元から、女と共に笑い声をたてて去った。
……音楽室に二度と現われることはなく。
確かに、あたしのことを好きだとは一度も言っていなかった。
男は皆狼だという高い授業料を支払ったと思えども……、セックスの時に、あたしの名前を甘く切なく呼んだあの時の彼が忘れられなくて、彼が他の女にそうしているのだと思うと、嫉妬で苦しくて。……あんな奴と恨みたくても、胸が痛くて涙が零れて。
なんで人前であんな言葉でフらないといけなかったのか。
そこまで酷い男だったのか。
あたしだって、身の程はわきまえていた。彼に釣り合うとも、恋人になりたいとも欲を出していなかったのに。ただ好きなだけで、あたしを女として求めてくれたのが幸せだったのに。
同時に、否定されたセックスに拒否反応が芽生えて、触れられ挿入されたすべての感覚を押し出したいかのように、吐いてばかりいた。
そうやって失恋を引き摺っていたから、体は倦怠感に包まれ、恐らくゾンビのようにふらふらと歩いていたのだろう。
階段から転げ落ち、おかしな角度で下敷きにした両手指を負傷した。突き指や捻挫とか、治るものならよかったのに、骨折だけではなく剥離した指の骨が神経に障り、左手の薬指と右手の小指が動かなくなってしまったのだ。
ひとよりちょっとピアノが出来る程度の腕だったとはいえ、親が勧めるままなんとかかろうじて音大の推薦を決めていたあたしは、その怪我により推薦が取り消しとなり、著名な音楽家ばかりの家族に顔向け出来なくなった。
彼らは、満足にピアノを弾けなくなったあたしを、見えない幽霊かのように扱い、無言で責め立て、居たたまれないあたしは、寝る時以外、公園でぼうっと過ごすようになった。