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エリュシオンでささやいて
第1章 Silent Voice
あれは蒸し暑い夜だった――。
ブランコに座っていたあたしは、細い月から落ちた青白い光の雫が、公園の花畑の中で、輪郭を朧に浮かび上がらせていく様を見た。
夜風に長い髪と、白いネグリジェの裾を翻しながら、くるくると回っていた人物は、胸の前で両手を組んで祈るような仕草を見せると、両手を両側に広げる。
夢なのか、現なのか。
その姿は、まるで天使の羽がぶわりと広がったようで。
天使は、突如仰け反り、星空に向けて叫ぶようにして歌い出した。
Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen
(復讐の炎は地獄のように我が心に燃え)
Tod und Verzweiflung flammet um mich her!
(死と絶望がわが身を焼き尽くす)
それはちょっと前、高校での声楽の授業で習った、モーツァルト作曲のオペラ「魔笛」、夜の女王のアリア。
世界的に名の知れたオペラ歌手のあたしの母ですら歌えなかった、ソプラノのさらに高い音を転がすように歌うコロラトゥーラによる超絶技巧を強いる曲を、難なく天使は歌い上げていた。
その音域とその声量に、ただ驚愕して戦慄するしかなく――。
天使は喉元に、チョーカーのようなファッションとは縁遠い……、正面にリングのような金具がついた、幅5cmほどの深紅色の首輪をつけている。
血色のような異様な枷がまるで、歌う天使の縛(いまし)めのようにあたしには見えた。
捕囚の天使が、ここまで歌い上げる情熱はなんなのか。
荒寥していたあたしの心が、天使の至高の歌声に揺らぎ、息づく。