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エリュシオンでささやいて
第3章 Dear Voice
「はい、不都合はなにもありませんよ。大家さんもお元気ですか?」
「ああ、元気さ」
「それはよかった。あ、中にどうぞ? 朝食、簡単なものなら作りますよ?」
「いやいや、もーにんぐをとるところは決めていてな。柚ちゃんは仕事に行く準備で忙しいのにすまないな。簡単に玄関先で失礼するよ。亜貴さんはどうだい。これが聞きたくてさ」
あたしはバスローブ姿だったが、身を屈めて大家さんを見上げる。
「肝移植した後の拒絶反応も落ち着いて、驚異的な回復ぶりをみせていると、亜貴についている亜貴のお母さんから電話がきました。この分なら、年内に帰国できそうですって!」
「おおそうか、そうか!」
亜貴のお母さんは、あたしの父の姉にあたる。
音楽が出来ないために父を含めてあたしの家族は馬鹿にしていたけれど、それでも毎年、亜貴を連れて正月に遊びに来てくれて、あたしの母よりは音楽抜きであたしを可愛がってくれたから、親愛の情が強い。
亜貴はおばさんをあまり好きではなかったようで、だからひとり暮らしをしたようだけれど、亜貴が倒れた時に連絡したら、泣きながら病室に駆け込んできた。
それを見て、この親子が羨ましく思ったものだ。
あたしなど、誰も病院に来てもくれないだろうから。
「そうか、そうか。なにかあったら、ワシに言うのじゃぞ?」
「わかりました。いつもご心配ありがとうございます」
「なんのなんの。亜貴さんは、じいさんの形見であるここの建物に、ひとがすめるようにしてくれた。そのおかげでワシは、おまんまをたらふく食えてるのじゃ。ほんにありがたい、なんまんだぶなんまんだぶ……」
「大家さん、縁起悪いから!」
すると大家さんははっとしたようにして、あたしと一緒に笑った。
「そうじゃ、柚ちゃん。住んでくれていてありがとう。はい、これは後で皆にあげる、いつものお煎餅を先に。で、これは柚ちゃんだけの特別なプレゼントさ。今日いい気分で過ごせるように」
大家さんは有名な煎餅屋の包みがかけられた箱と、大きな花束を取り出して、あたしの両腕の中に入れた。
「いつも、同じのですまんの」
花束には赤い多弁の花がたくさんあった。