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エリュシオンでささやいて
第8章 Staying Voice

それを察したのか、彼は軽く笑って言った。
「俺、字って……、組織に入る前の小学校レベルで止まってるんだ」
「………」
「それなのに、棗は達筆で。あいつからスパルタ指導を受けたのに、これ止まり。幾らかマシにはなったはずなんだけれど」
うわ……。
これなら棗くん泣いちゃう……とは言い出さずに心の内。
「だから俺は、手紙も書くことも無理だし、言葉もお前を傷つけてばかりだし、気持ちを伝える方法は音楽を奏でることしか出来なくて」
「なんか……色々とごめんね」
「いいや。お前はなにも気にすることはねぇ。俺の字は、俺の責任だ」
……字だけではないんだけれど。
「ちょっと、聞いてみる?」
「うん。聞きたい」
銃を握っていたりいやらしいことをしていた彼の両手の十本指が、鍵盤の上に置かれた。
そして――。
「俺の頭の中には、こんな曲が流れている」
彼の指が動き出す。
それは、バラードのような緩やかな短調……マイナーコードの旋律から始まった。
まるで彼にのしかかる絶望が大きく、左手のアルペジオが追い打ちをかけるかのように追い立てて、泣く声も力を無くしているかのように。
Aメロは、一転して長調……メジャーコードで軽快で爽やかで、R&Bのようなリズムを持つ。しかし次第にマイナーコードが入り、不穏になっていく。
Bメロは、激しいマイナーコードの曲で、伴奏がとにかく早く、右手の主旋律が切ない音律になっていく。
そしてサビは、四小節ごとの同じコード進行がただ繰り返されているのに、そう思えないのは右手の動き。まるでショパンの〝革命〟のように、力強く叩きつけるそれは、二週目には両手ともオクターブ上の音を補佐して、華々しく力強く。
そして二度転調して、最後のフィナーレを飾るCメロは、苦しみから解放されたかのようなメジャーコードが繰り返され、終音がすぐ半音階下のマイナーコードになって終わるため、なにかが起きる不安さを僅かに匂わせていた。
……演奏が終わった瞬間、あたしは泣いていた。
口で説明されるよりも、あたしの心が彼の音楽に共鳴していた。
どんな言葉よりも、あたしにとっては最高最強の口説き文句で、身体だけではなく、心が震えた。

