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エリュシオンでささやいて
第3章 Dear Voice
 
「あたしに高校時代の話は、一切止めて下さい。もしするのなら、ドア開けて飛び降ります。それくらい、あたしにとって特に高校3年は、忌々しくて忘れたい黒歴史ですので」

「……」

 ……あたしは、世間話でも早瀬との思い出が詰まったあの時を、軽々しく口に出せない。早瀬が簡単に口にするのは、どうでもいい思い出だったからだろう。

 どうせ、あたしは――。

――有名人の娘だからお前のバージンに価値があった。それがなくなれば、お前に価値はねぇ。
 
「あなたも忘れて下さい。あたし達には共通の思い出はなにひとつない。エリュシオンで初めて会いました」

 高校時代に関して、今まであたしは早瀬とひとことも話をしていない。
 あたしがピアニストの夢を諦めたことは、二年前に、早瀬は既に知っていたけれど、早瀬との一件が誘因したとは思っていないだろうし、あたしだって口にしたくない。

 あたしの指が動かなくなったのは、自己責任だから。
 あたしさえショックを受けていなければ、免れただろう事故だっただけ。

 ぶり返したくないんだ。

 あの時の辛さも苦しみも、早瀬とのふたりの世界を楽しく思っていたあの恋心も。

「――嫌だ。……忘れねぇ」

 不意に早瀬がそう呟いた。

「絶対に、俺は忘れたくねぇ」

 フロントガラスを睨み付けるようにして早瀬は言う。

――有名人の娘だからお前のバージンに価値があった。それがなくなれば、お前に価値はねぇ。 

「最低っ」

 怒りに震える声で言うと、

「……わかってるよ、それくらい」

 早瀬の手が伸びて――

「俺が一番わかっている」

 あたしの手を掴むと、あたしの手の甲に、大きな手のひらを重ねるようにして、指の間に指を絡めてくる。

「やめて下さいっ!」

 しかし大きな手は、痛いくらいに握ってくるばかりで離れない。
 指のすべてに力を込めることが出来ない上に、握力が違い過ぎた。
 
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