この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
エリュシオンでささやいて
第10章 Changing Voice
「懐かしいな。これを覚えなきゃ、お前との音楽室の思い出はなかったかもしれねぇ。そう思えば、凄くこの曲が愛おしい」
あたしはそっと手を離した。
「おい、こら」
「ごめん、この曲は……聴いていたい」
……この曲は、あたしにとっても特別だ。
目を瞑れば、あの時の音楽室が目に浮かぶ。
黒いグランドピアノに、学生の須王が座ってピアノを弾いていて。
須王の天才ぶりを見せつけられて驚愕して……恐らくそこからあたしの恋が始まった。
「……昔が辛ぇのか?」
気づけば曲が終わっていて、須王が心配そうに、涙を流してしまったあたしを見ていた。
「辛くはない」
「じゃあなぜ?」
「ん、始まりの曲だなって。あたしと須王の。色々あったけれど、今となればこの曲が引き寄せてくれたようなものだから」
すると須王は無言で後ろからあたしを抱きしめ、あたしの肩に顔を埋めた。
「……さんきゅ」
「ん?」
「忘れないでいてくれて」
そう、震える声で須王が言うから――。
彼を恨み続けた九年分の思いに複雑になりつつ、あたしの心がとくりと揺れた。
……須王は、黙ったまま動かない。
「須王?」
「………」
「おーい」
すると彼は突如顔を跳ねあげると、聞いたことがない曲を弾き始めた。
それはミディアムテンポで、凄くメロディアスだ。
「柚、すまねぇ。そこらへんに紙とペンがあるから、それで楽譜にして」
「へ!?」
「急に思い浮かんだ。頼む、絶対音感」
あたしは慌てて、白紙を見つけ出してそこに転がっていたシャープペンで書き取る。
一緒に作ろうと言ったのに。
だけどまあいいや。
「これ、新生ハデスにどうだ?」
「あ、いいかも。だけどこの部分……こっちの音程の方がよくない?」
口ずさんだ曲の途中。
須王はそれを弾いてみて、採用とひと言。
「え、いいの?」
「勿論だ。他にねぇ?」
「だったら……」
悪夢に飛び起きてから実に三時間。
あたし達は、須王の突然の閃きを形にするために、楽譜造りと議論を取り交わしながら、気づいたら……ベッドで抱き合うようにして寝ていた。
須王とひとつの曲を作る。
それがとても楽しくて、そこから数日の夢はとても楽しいものだった。