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月光の誘惑《番外編》
第1章 月下の桜(一)

 俺がよく行く創作和食の店は、個室もある、落ち着いた雰囲気の店だ。タクシーに乗る前に予約したので、すんなり入ることができた。
 いつもはカウンター席に弟と座るのだが、今日はその奥の座敷個室へ案内される。

「ビールにする? それとも、日本酒?」
「ウーロン茶で!」

 ダウンジャケットとスーツのジャケットを脱ぎながら、彼女はメニューも見ずに笑顔で答えた。
 飲ませる作戦は、最初は失敗。あとで軽めのものを頼むか。
 壁際にあるコンセントに充電アダプタを繋ぎ、無料Wi−Fiに繋いで、コンテンツ配信アプリを開く。

「ここからアプリをダウンロードするんですよ。カレンダーとか、メッセージアプリとか、天気予報とか」
「へぇ! 桜井さんのオススメはありますか?」

 じゃあ、と、必要そうなアプリはどんどんダウンロードしていく。
 テーブルの向かい側に座っていたはずの彼女が、「画面が見づらい」と回り込んで隣に座る。そして、小さな液晶画面を二人で覗いている。
 これで、心置きなく、近づける。

 薄手のニットから中身を想像する。ほっそりとした体だけど、肉づきは良い。胸も小さくはない。大きくもないけど。
 ほんのり甘い匂いがする。柔軟剤か、香水か。いや、香水ではない、か。あんなファッションセンスのカケラもないダウンジャケットを着ている人だ。たぶん、香水じゃない。

 視線に気づいたのか、彼女が顔を上げて、俺を見つめる。近い。キスできそうなくらい、近い。
 彼女は一度すんと鼻を鳴らして、笑う。

「桜井さん、いい匂いがします」
「あぁ、香水ですかね。……あなたも、いい匂いですよ」
「あなた……? あっ、すみません! 申し遅れました、私、月野です。月野あかり。いい匂いですか? 何の匂いかなぁ」

 ようやく、名前を聞き出した。このまま隠されて終わるのかと思っていたから、少しホッとする。名乗るつもりはあったのだ、と。
 月野あかり。あかりさん、かぁ。

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