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愛してるから罪と呼ばない
第1章 逃避行



「おふくろ……?か、りん……?」


 第三者の声が挟まっても、香凜は数秒、気づかなかった。

 子供の時分、あとになって振り返ってみるととるに足りなかった秘め事がある。末梢的な秘め事が大人の目に触れた時にも似通う、身体の中枢から急冷却されるいやな感覚が、香凜をなぶる。あらゆる自己防衛の弁解が、脳に指示を出す。だが、体勢は何事もなかった風に見せかけても、不実の露見はさしずめひっくり返った茶碗だ。


 誠二は、母親と配偶者がキスした現場に立ち尽くして、その感情を主張していた。大仰な顔は、洋画俳優も顔負けだ。



「何をしてたんだ?なぁ、何を……」


 誠二の眼差しは次第に攻撃性を帯びてゆく。



 こぼれたものは戻らない。

 美衣子が誠二に謝っていた。誠二は香凜の理解出来かねる言語をがなりたてる。誠二の声が怒気を増すほど、その雑音は、香凜の耳を遠ざかる。香凜は、ただ時折、不出来なマリオネットのように美衣子に頷くだけだ。


「興味が出てしまって、少し試したの。女性の唇は柔らかいんですって。自分のでは分からないから、触れさせてもらっただけ」

「唇で……唇で、しないよな……?普通……」

「せいくん、……寝ぼけていたのよ、ねぇ?香凜さん、吃驚したでしょう、ごめんね私ったら」

「いいえ、私の方こそ寝ぼけていて……」


「そういう関係、なのか……?」



 今にも香凜か美衣子に掴みかかりかねない誠二の目つきは、いつかの笙子や両親らを想起させた。


 ただ一つの正当以外、認めない。その正当が彼らのものさしに準じたものに過ぎなくても、それは一個人の価値観ではなく正当なのだ。


「年の差だって……いや、レズなんか見たことないし……。そもそもおふくろ、香凜は嫁だぞ?」


 …──私の方こそ、異性しか求められない可哀想な人間など見たことがない。


 香凜は、無力な反駁を呑み込んだ。逆鱗に触れるだけだ。


 美衣子の横顔を伺うと、香凜に優って戦慄していた。



「オレ、一階で寝るわ」
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