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第33章 市八
「ただいま、サヨ。信坊は?」

「お帰り、市っちゃん。もう寝たわよ。」

「そっか…今日こそは風呂に入れてやろうと思ったのにねぇ…」

やれやれとため息をつき、長屋の上がり框に腰掛けて妻のサヨが出した濡れ手ぬぐいを手に取った。

所帯を持ってもうすぐ四年になろうとしている。
上の男の子は名を信太郎といい、歳は三つ、きぬと名付けた下の女の子はまだ乳飲み子だ。
最初、男の子の名前に信吉、とつけようとしたら、サヨの母、るいが烈火の如く怒り、大反対した。
碌な大人にならない、と決めつけられ、詳しくは知らないがワケがあるらしい、と大人しく従うことにした。それにはサヨの父である鷺も仕方ねぇ、と首をすくめ、市八の両親である八尋とサチはきょとんとしていた。

「市っちゃん仕事が忙しいんだから、信がもう少し大きくなったら起きて待ってられるわよ。ご飯今から温めるけど、先に湯屋に行ってくる?」

「…だぁな…信坊が寝っちまったんならしょうがねえか…」

諦めて家には上がらず、そのまま湯屋に行くことにする。
一旦手に持った濡れ手拭いを、足を拭くことなくそのままサヨに返し、代わりに風呂に行く為の一式が包まれた風呂敷包みを受け取った。
長屋に風呂などあるわけがなく、毎日近くの湯屋に行くのが仕事終わりの日課だ。そもそも火事の元となりかねない風呂は、ごく一部の家にしか許されていない。
しかしそれを思えば、実家には風呂があるな…とふと思う。
何故なのかはよくわからない。
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