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Quattro stagioni
第10章 スタンダールの幸福 Ⅴ
手を離そうとすると、森の小さな手が俺の手首に触れた。そうかと思うと反対の手はTシャツの襟首をやわく、掴む。なんだ、と思った時には柔らかな唇が俺のそれにそっと触れた。甘い匂いが強くなる。驚きに目を見開くと暗がりの所為かよく見えなかった筈の森の顔がくっきりと浮かぶ。
「気遣いでも、同情でも、ないです」
離れていった形の良い唇がそう、紡ぐ。彼女の頭部を撫でていた手は行き場を失くし、宙を掻く。ぽかんと口を開いたまま、目を逸らすことも、立ち上がることも出来なかった。
「風邪、引きますからホテル戻りましょ」
にこりと笑って、俺の手を引く。頭が追いついていない所為か、足がもつれて転びそうになると耳に心地良い笑い声がそっと響いた。
「…俺のこと、からかってんのか」
「からかってないですよ」
「俺のこと苦手だっただろ、それに俺はお前より7つも上だぞ」
「苦手は苦手でしたけど…そんなのもう忘れました。それに、歳なんかなんだっていいです。年齢で恋する訳じゃないですし、うっかり恋しちゃった相手が中原さんだったってだけですもん」
「うっかりって…お前なぁ、」
「恋なんか、皆、うっかりしちゃうもんですよ。恋しようと思ってする恋は偽物だとわたしは思ってます」
なるほど、一理あるような気がする。確かに俺は都筑なんぞに最初から恋をしようと思っていた訳ではなかった。
ホテルに向かってぐいぐいと俺の手を引いていく森の背中を見ながら、村澤さんが言っていた通り、案外この子は強かな女なのだろうなと思った。