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Quattro stagioni
第10章 スタンダールの幸福 Ⅴ
1本を飲みきって、それから都筑に押し付けられた飲みかけの2本目に口をつける。やたらと苦く感じるのはぬるまっこくなっている所為だろうか。ちみちみと飲み進めていると足音が近づいてくることに気付いた。
「眠れないのか」
振り返らずとも、何故だかその足音が森美月のものであると分かった。ぽつりと声を投げると、はい、と返ってきた声はやはり森の声だった。
「隣、座っていいですか」
「…おう」
森が隣に座ると、シャンプーの匂いなのかなんなのか甘ったるい香りがふわりと漂った。
「……仕事、しんどいか」
「え?」
「ここんとこ、お前、ずっと泣きそうな顔してるだろ」
「それは…、」
「辛かったら辛いって言っていいんだぞ。仕事なんかな、好きでやる分にはいいけど無理して自分追い込む必要ねえんだ」
「仕事じゃ、ないです。わたしが…泣きそうな顔してるとしたら、それは、中原さんが苦しそうだからです」
思いがけない言葉に目を瞠った。はっと森を振り返ると、普段はどこかおどおどしていて落ち着きのない瞳が、初めて見せる力強さを湛えて俺を捉えている。
「好きです」
「………は?」
「あなたの、悪い夢はわたしが全部食べます。だから…だから、わたしのこと、好きになってください」
手から離れた缶が耳障りな音を立てながら階段を転がり落ちていった。今、こいつ、なんて言った?柄にもなく、瞬きを繰り返しながら森の顔を凝視する。
「わたし、気付いてます。中原さんが都筑さんのこと特別に想ってることも、都筑さんは藤さんと付き合ってることも」
誰かが森に話したのだろうか。都筑が箝口令を発動したのは冬のことだ。新人ふたりが俺たちの歪な関係に気付く機会はそうそうなかった筈だ。
「……悪い夢、か」
もし、都筑に囚われていたことが悪い夢だとするならば、俺はやっとその夢から覚めたところだ。だが、
「…そんなに悪くもなかったけどな」
「…!す、すみません…言葉のあやというか…」
「ありがとな。気使わせて悪かった。俺はもう、平気だから」
すとん、と肩の力が抜けたような感じだった。手を伸ばし、わしゃわしゃと森の頭を撫でる。子供の頃、親父が大きな手でこうしてくれるのが好きだった。親父曰く、言葉だけでは足りない時の癖だというこの行為はいつの間にか俺にも移ってしまっていた。