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Quattro stagioni
第7章 スタンダールの幸福 Ⅱ
社会人になる、ということに実感のないまま入社式や、全社研修を終えて、同期の清水くんと共に今の部署に配属されてから2週間が経った。
わたしの教育担当についてくれた中原さんは口数の少ない、寡黙な人だ。わたしに色々と教えてくれる時の声音は優しいけれど、どこか悲しげで、低く落ち着いている。わたしと中原さんの間には殆ど会話がないというのに向かいの清水くんと彼の教育担当でついた都筑さんはテンポの良い会話を交わして、いつも賑やかで羨ましい。
「ねえ、清水くんさ、君、もうちょっと日報の文字どうにかなんない?」
「そろそろケンシローって呼んでくださいよ、都筑先輩」
「…だるいな。君が達筆になったら考える」
定時を過ぎ、わたしがせっせと日報を書いていると都筑さんの声がする。顔を上げれば眉間に皺を寄せて、清水くんが日報を書くノートを覗き込んでいるみたいだった。それを受けてへらりと笑った清水くんは日に何度か繰り出すお決まりの台詞を発した。
都筑さんはアンニュイな雰囲気の漂う不思議な魅力のある人だ。同期の中でもおふざけ担当だった清水くんのキャラクターを早々に見抜いたのか配属初日から彼をかなりぞんざいに扱っている。
雑談をしながら作業に勤しむふたりを、中原さんは時々どきりとするような優しい顔で見つめている。ふたり、というよりは都筑さんのことを見ているみたいだ。今もちらっと盗み見た横顔からは普段の不機嫌そうに見える色がすっかり消えていた。
たった2週間。されど、2週間。それなりに恋愛をしていれば、流石に察する。もしかして、都筑さんと中原さんは付き合っているんじゃないか、と。だって、都筑さんは中原さんのことを下の名前で浩志と呼ぶ。それに、彼らは、あれだの、これだの、と代名詞ばかりの会話で意思の疎通が取れている。
でも、付き合っているのだとすれば、中原さんの表情には違和感がある。なんとなく、苦しそうに見えるのだ。
「お前、それ書き終わったなら遠慮しないで帰っていいぞ」
「あ、は、はい。お先に失礼します」
「おう。おつかれ」
そう言ってぎこちなく笑う中原さんの顔は日中の表情と一変する。無理をしているというか、笑おうと努力しているというか、不自然な顔になる。
だから字が汚い、と清水くんに苦言を呈す都筑さんにも挨拶をしてフロアを出た。他の先輩社員たちはまだみんな仕事中のようだった。