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銀木犀の香る寝屋であなたと
第7章 別離
黒塗りの車が小屋の前に停まった。
「ごめんください」
しわがれた老人の声が聞こえ、キヨは引き戸を開け招き入れた。
「どうぞ、狭いところですが……」
「失礼します」
きちんとした洋装で、礼儀正しい小柄な老人は藤井道弘の執事で田村幸三と名乗り、きちんと正座をしている吉弘を見て「ああ。これはこれは文弘おぼっちゃんにそっくりですなあ」と微笑んだ。
田村幸三によると道弘は兄の正弘とは違い鉄工所で財を成していた。おかげで戦後、爵位は返上され華族としての身分はなくとも破産は免れた。
それでも戦時中は工場を焼かれたり、閉鎖する憂き目に会ったりと、何かと苦労はしたらしく、やっと最近盛り返してきたようだ。
道弘は独身で子供もなく高齢である。心細くなってきたところに藤井家の吉弘の存在を突き止めたのだった。
「本当は文弘様がお亡くなりになった時に迅速な行動をとれたらよかったのですが、あいにくそのころ、ちょうど海外に居ましてね。
帰国した時にはもう、あなた方の行方が分からなくなったまま戦争を迎えてしまいました。道弘様はぜひ吉弘様を跡継ぎにしたいとのお考えです」
「そう……ですか。あの、この家なのですが、キヨに名義を変えたいので少しお待ちいただけませんか?」
珠子のふりをしたキヨが受け答えをする。
「結構ですとも。残念ですがキヨさんは、ご遠慮くださいとのことでしたので……。実際のところ、そこまでの余裕はないのですよ。あの黒塗りの車は商品見本で、まだまだ藤井家は張りぼてなのです」
珠子は部屋の隅で黙って話を伺っている。来月には準備が整うだろうということで田村幸三は帰っていった。
「ごめんください」
しわがれた老人の声が聞こえ、キヨは引き戸を開け招き入れた。
「どうぞ、狭いところですが……」
「失礼します」
きちんとした洋装で、礼儀正しい小柄な老人は藤井道弘の執事で田村幸三と名乗り、きちんと正座をしている吉弘を見て「ああ。これはこれは文弘おぼっちゃんにそっくりですなあ」と微笑んだ。
田村幸三によると道弘は兄の正弘とは違い鉄工所で財を成していた。おかげで戦後、爵位は返上され華族としての身分はなくとも破産は免れた。
それでも戦時中は工場を焼かれたり、閉鎖する憂き目に会ったりと、何かと苦労はしたらしく、やっと最近盛り返してきたようだ。
道弘は独身で子供もなく高齢である。心細くなってきたところに藤井家の吉弘の存在を突き止めたのだった。
「本当は文弘様がお亡くなりになった時に迅速な行動をとれたらよかったのですが、あいにくそのころ、ちょうど海外に居ましてね。
帰国した時にはもう、あなた方の行方が分からなくなったまま戦争を迎えてしまいました。道弘様はぜひ吉弘様を跡継ぎにしたいとのお考えです」
「そう……ですか。あの、この家なのですが、キヨに名義を変えたいので少しお待ちいただけませんか?」
珠子のふりをしたキヨが受け答えをする。
「結構ですとも。残念ですがキヨさんは、ご遠慮くださいとのことでしたので……。実際のところ、そこまでの余裕はないのですよ。あの黒塗りの車は商品見本で、まだまだ藤井家は張りぼてなのです」
珠子は部屋の隅で黙って話を伺っている。来月には準備が整うだろうということで田村幸三は帰っていった。