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夏の華 〜 暁の星と月 Ⅱ 〜
第12章 その愛の淵までも…
…温室は蒸せ返るような薔薇の香気で溢れていた。
外気より幾分高めな温帯な空気のせいかも知れない。
月城の案内で白薔薇のアーチをくぐり抜け、暁は小さく歓声を上げた。
「…ああ…綺麗だ…!」
薔薇好きの女主人、北白川梨央は最近益々イングリッシュガーデンに凝っていて、英国王室の庭園を手がけた著名な庭師を呼び寄せ、広大な北白川家の庭園や温室の改築に力を注いでいた。
とりわけ温室は、四季折々の薔薇の花々や英国を始めとする世界各国の珍しい種類の薔薇が楽しめるよう贅を尽くされていたのだ。
…桜が咲き始める四月の今は、蒼い色を密かに秘めた白いイングリッシュローズが咲き乱れている。
「お気に召されましたか?」
月城が柔らかな微笑みを浮かべながら振り返る。
暁は頷き、ふとある光景を思い出した。
…昔、こうして月城と二人で薔薇を眺めたことがあった…。
「いかがされましたか?」
暁の沈黙を気にした月城が、気遣わしげに見つめる。
「…初めてこの温室を訪れた日のことを思い出したんだ。…君が僕をここに案内してくれた…」

…礼也に連れられ、初めて北白川伯爵家のお茶会に列席したあの日…。
他の貴族の子弟は暁のことを遠巻きに見て、ひそひそ話しをするばかりであった。
…縣男爵の愛人の子ども…。
きっと親たちに暁のことをそう聞かされていたのだろう。
誰も暁に話しかけてくれようとはしなかった。
礼也は別室の友人たちに捕まり、暁の様子を知らなかった。

暁は一人ぼっちを特に気にするでなく、バルコニーに身を潜めていた。
…自分がこのような華やかな階級の人々の中では、異質な存在だということを察していたのだ。
礼也に引き取られまだ日が浅く、自分の言葉遣いやマナーや所作に自信がなかったこともある。
…他の人と話したら、僕の品のなさがわかって兄さんに恥をかかす…。
そう思い、ひたすらバルコニーの端で息を潜めて庭園を眺めていた。

「…暁様。よろしければ、温室をご案内いたしましょうか…?」
背後から低く美しい声が聞こえたのはその時であった。

振り返る暁の眼に映ったのは、黒い燕尾服にホワイトタイ姿の長身の美しい怜悧な彫像のようなこの家の執事、月城の姿であった。
漆黒の髪は綺麗に撫でつけられ、冷たいまでに整った美貌に磨き上げられた眼鏡を掛けた月城は、やや怯えた表情をした暁に優しく微笑み掛けてくれたのだ。
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