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夏の華 〜 暁の星と月 Ⅱ 〜
第12章 その愛の淵までも…
次第に小さくなる外国客船を、暁と月城はいつまでも見つめていた。
…もう藍川の姿は、分からない…。

…と、突然に小柄な少女が、埠頭の先端までつんのめるように走り出てきた。
縞の簡素なドレスに白いエプロン…。
月城は眼鏡の奥の切れ長の眼を見張った。
「…梢…」
「…誰?知っているひと?」
暁が不思議そうに月城を見上げる。
「屋敷のキッチンメイドです…」
月城は答えながら、梢を見遣る。

梢は海に落ちそうなほど船着場ぎりぎりに立ち、両手を口に当てて叫び出した。
「藍川さん!あたし…あたし、いつかパリに行くからね!
もっともっといい女になって、藍川さんに似合う女になって、絶対パリに行くからね!それまで待っていて!」

まばらになった見送り客が好奇の眼差しで見るのも構わず、梢は叫び続ける。
「藍川さん!必ず、パリに行くからね!それまで元気でね!」

梢は、次第に小さくなり…やがてその船体が海原の彼方に消えゆくまで、小さな手を千切れるほどに振り続けた。

全てを察した暁は、その美しい瞳に温かな微笑みを浮かべて、傍らの月城に頭を預けた。
「…ねえ、藍川くん、彼女に気づいたかな?」
暁の腰を抱き寄せながら、月城は静かに微笑む。
「…さあ、どうでしょうか…。
けれど、梢にとってはどちらでもいいのかも知れません…。彼女はきっといつか、この海を渡って藍川に会いに行くでしょう。何年先になるか、分かりませんが…。
…やがてパリで小さな恋が始まるかも知れません。それは神のみぞ知ることですが…」
暁は煌めく波濤から、傍らの愛おしい男を見上げる。
「…君はロマンチストだね」
「おや、今頃気付かれましたか?」
二人は貌を見合わせて、小さく笑った。
月城が暁の髪に愛おしげにくちづけをする。
「…愛しています。暁様…」
暁は月城の肩に頬を摺り寄せる。
「僕もだ。…愛しているよ、月城…」

愛しい男の温もりを感じながら、暁はもはやその姿を大海原の向こうに消した客船を眼で追いながら、思う。
…藍川は、その愛の淵から出口を見出せたのだろうか…と。
そうだといい…。
月城が言うように、いつの日か可愛らしい恋が始まるといい…。
そう願いながら、男の温もりと柔らかな潮風に包まれ、暁はそっと瞼を閉じたのだ…。




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