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花菱落つ
第2章 真田源五郎
 いくつもの峠を越え、ようやく甲斐へ入る関に辿り着いた。役人の元へ行き、手形を見せる。甲斐信濃巫女頭である千代女の出した手形を持つ凪と、信玄の花押の入った手形を携える源五郎は一切の詮索なく、関を通過することができた。

 甲府が近づくにつれ、細く山がちだった道は次第に広く平坦なものになってゆく。

「巫女様、是非我が村へ」
「わかりました」

 歩き巫女である凪は、道中の村々で奉納舞を乞われることが多かった。楚々として清らかな容姿が、神々への捧げ物に相応しいと思われたに違いない。千早を纏い天冠を頭に乗せ、楽の音に合わせて優雅に舞う凪は、本当に美しかった。そしてここまで凪が誰かと枕を同じくすることもなく、源五郎は安堵に胸をなでおろしていた。

 間もなく甲府に到着するというところで、源五郎は立ち止まった。すぐ後ろを歩いていた凪も足を止める。

「凪」
「はい、真田様」

 源五郎はこれ以上ないほど固く真剣な顔つきで凪を見つめた。

「俺の妻になってはくれまいか」

 普段、物静かであまり表情を変えない凪が、切れ長の目を見開き、驚いた表情で源五郎を見ていた。

 辺りに人影はなく、二羽のひばりがさえずる声だけが、春の甲斐路に響いていた。
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