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貴方だけに溺れたい
第5章  枷

どんな人だったか……。
実際に見掛けたのはこの4年の間に遠目で2回か3回程度だと思うが、足が不自由で、いつも杖を突いて歩いていたはずだ。
結婚当初に多代から聞いていた話では、何年も前に外出先の階段から落ちて大怪我をし、それ以来、足や腰が弱ってしまい、あまり外には出て来なくなったのだという。

後は、もとはとても綺麗な人だったけど水商売をしていたとか、男狂いとか……多代自身が良く思っていないと分かるような話に発展した為、はっきりとは覚えていない。

しかし一度、だいぶ前の事だが、十字路からその人が家に入っていく姿を見掛けた時、"とても綺麗な人だった"人の変貌に複雑な思いを抱いた覚えがある。
手入れのされていない、枯草のような白髪混じりの髪を一つに縛り、黒か紺色のロングスカートに茶色のカーディガンを着ていた。
足が不自由な為だろうか、その姿勢は前屈みで、遠目からは長いスカートを引き摺って歩く老婆のようにも見えた。
年齢的にはまだ50代だろうとも思うが……。

そういえばここ最近は見掛けない。
葵自身が竹村家を避けているせいもあるのかもしれないが、その存在すら、すっかり頭から抜け落ちていたようだ。

しかし怒鳴られてるなんて、どういう事だろうと思う……。

「うちの先生はね、もしかしたら認知症の兆候なんじゃないかって言ってるのよ」
「認知症?」
「そう。若い人には縁の無い話かもしれないけど、認知症って色んな種類があるらしいの。私なんて何も知らないから、何もかも忘れちゃう事だと思ってたんだけど、幻覚が見えたり大声で怒鳴ったり、人格が変わってしまうような症状が出る事があるんだって。
勿論、それは"もしかしたら"っていう仮定の話なんだけど、年齢的にもそういった原因もあるかもしれないから、私達もそれは頭に入れておきましょう」
「それは私達は何を言われても我慢しろって話?」
「想像力と理解は大切って事。文句の名人は怠け者よ。此処で恐い顔して話してる暇があるなら、子供達の事や、此処でどう対処していくかを考えるべきでしょう?」
「そうだけど……文句ぐらい言わせてよ」
「もう充分、話したじゃない」

奥さんの話題に触れないのは、所詮は"他所の家の事"だからだろうか……。



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