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貴方だけに溺れたい
第9章  喜びと切なさと、後ろめたさ

「大丈夫ですか?」
「え?」
「足。急がせてしまったので」
「ああ。ええ……」

かなり強引だったと思う。

運転席へと乗り込みながら、助手席で戸惑うように自分を見ている女性に尋ねていた。
車内灯の明かりの中、暴風雨に晒され続けた姿はお互いに見るも無残な状態だが、女性の方は更に酷く、一つに纏めた白髪まじりの髪は乱れ、服も、特に肩から袖口にかけては肌が透けて見えるほど濡れそぼってしまっている。

何処から歩いて来たのだろうか?

「駅からですか?」

しかし努めて自然に振る舞おうと話し続けていた葵だったが、初めて至近距離で見た女性の姿に驚いていた。

すごい、美人かも……。

年齢はやはり60代くらいだとは思うが、切れ長の涼しげな目元にスッとした細い鼻、薄いがバランスの良い唇の形は品の良さを醸し出している。

勿論、髪や服装のせいでその美しさは半減されてはいるが、きちんと髪を整えて化粧をすれば和服の似合う清楚な奥様に見えると思う。

それなのに、何故?

本来の容姿を放棄したようなその退廃的な姿に、違和感と理由の分からない禍々しさを感じていた。

「ええ……。でも、あなたは大丈夫かしら?」
「……はい?」

その為に反応が遅れてしまったが、女性は呆けた様子の葵を気遣うように続けた。

「私なんかと関わると、お姑さんに怒られるんじゃない?」

ただその質問の意味さえ、葵は直ぐに理解は出来なかった。
数瞬の間が空き、その間に多江が話していた事を思い出したが、理由はどうあれ特に気にする事では無いと思えた。

否、寧ろ"夜の仕事をしていた"とか"男癖"がどうとか、そんな自分とは関係の無い話の為に"罪悪感"を背負わされるのはもっとごめんだ。

「怒られる事なんて、何もしてませんよ」

葵はそう答えると、ギアを入れて車を発進させた。

「それよりも、無事にたどり着ける事を祈ってて貰えますか?」
「え?」
「私、初心者マークで、今日みたいな日の運転めちゃくちゃ苦手なんです」


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