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貴方だけに溺れたい
第9章  喜びと切なさと、後ろめたさ

「黙ってればいいだけの話じゃないんですか?こんな事、いちいち誰かに言う事でも無いと思います。第一こんな雨の中、誰が見てるっていうんですか?雨戸開けて顔出して?そっちの方がヤバくないですか!
それに、これは私の判断です。自分の行動は自分で責任持ちますよ。でも何がいけないんでしょうか?あそこから此処まで3㎞はあると思うんですけど、そんな距離を歩かずにすんでラッキーくらいにと思って頂ける方が私としては有難いのですが」
「……」
「……まぁ、あの運転で言える事でも無いのですが…………」

しかし苛立ちのせいか、思った事をそのまま口に出していた事に気付いた。
女性は圧倒された様子で葵を凝視し、数秒の沈黙を置いた後に微かな苦笑を浮かべてはくれたものの、気まずさは否めない。

「あの、言い過ぎてたらすいません」

その為、続いた言葉は、先ほどとは一転して弱々しくなっていた。

しかし女性は葵から視線を外すと、俯きがちに「いいえ」と答えながら首を横に振った。
その表情は見えないが、その声は僅かに弾んだようにも聞こえたが……。

笑った?

「そうね……素直に感謝しないとダメよね」
「あ、いえ、感謝とか、そんなのは……」
「いいえ。何て言うのかしらね、私はちょっと……いえ"だいぶ"かしらね。ひねくれてるの。だから……そうね……どうもありがとう」

気のせい?

顔を上げた女性の表情には、困惑気味な苦笑は浮かんでいたものの、愉しさを含むような形跡は無かった。
ただ自分の言動を振り返れば、笑っていたとしても不自然な反応ではなかったのだろう。

しかし車から降りた女性の後ろ姿を見送りながら、葵はふと違和感を感じたのだ。

強風に煽られながら、女性は傘を差さずに家に向かっていた。
その距離はほんの10メートルもない道のりだが、その姿はすぐにサイドガラスに打ち付ける雨によって滲んでいた。

そして女性が右手に荷物を持っている事は分かった。
傘を差さず、杖はおそらく傘と一緒に左手に持っているはずだが、歪んだガラスの先に見えるその人の足取りは力強く、ごくごく自然な歩きに見えていたのだ……。



***



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