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貴方だけに溺れたい
第3章 屈辱と悪夢
「それじゃ、取り合えず乾杯しましょうか」
智之がそう言い終わる前には、パッケージを拾いその場から離れていた。
誰にも邪魔されないように、気付かれないように、今にも溢れ出しそうな涙を必死に堪えながら速足でリビングを抜ける。
キッチンにはいつの間にか戻って来ていた多代がいたが、葵は顔を見られないように俯いたまま部屋を出た。
しかしそのまま自分達の部屋に戻る事は出来ず、途中にあるトイレへと駆け込む。
引き戸を閉め、鍵を掛け、漸く独りになった瞬間に嗚咽が漏れた。
「…ッツ……」
それでも声を上げて泣く事なんて出来るわけも無い。
扉に背を向け、両手を口を押さえる葵の耳には、廊下を歩くスリッパの音が向かって来ていたのだから。
「あー、なんだトイレか」
扉の外から聞こえた多代の声は、予想出来ていた事だった。
何も言わずに出て行けば必ず理由を確かめに来る人だから、口実を作る為にトイレに入ったのだ。
葵は多代の声に応えるように扉を2回叩き、早く行ってくれと願う。
こんな時でも気を遣わなければならない生活にも嫌気がさす。
しかし葵の状況を知らないまでも、多代は"トイレの事情"さえ察する様子も無くその場に止まり、とりとめのない話を始める人だった。
「もうね、本当に馬鹿みたいだったのよ。私、畑の中まで探して回ったんだから」
デリカシーの欠片も無い。
施錠されている為、これ以上は踏み込まれる心配は無いが、本当にもう、いい加減にしてくれと何度も思う。
「お父さんったら、いくら探しても見付からないから、何処かで倒れてるんじゃないかと思って心配してたのにさ、戻って見たら呑気な顔して座ってるんだから、頭にきちゃった」
「…………」
「マイペースなのよね。人の迷惑なんて全然考えてないの」
「…………」
葵は両手で口を押さえ、容赦なく込み上げてくる嗚咽を洩らさないように歯を食い縛り、ただただ早く多代が去ってくれる事を祈り続けていた。
早く解放されたい。
感情の赴くままに怒りや苛立ちを爆発させたい。
そして独りになって自由になって、森川の事や、あの仕草の意味を考えたかった……。
***