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貴方だけに溺れたい
第4章 秘密
口実って、此処から落ちたら抱き止めるとか、そういう……?
なんて考え過ぎだし、いい年してそんな能天気な解釈をする自分が恥ずかしい。
それ以前に彼の言動をいちいち真に受けてしまう自分が情けない。
「私はこう見えても、運動神経だけは良いんです!」
脚立に上るという目的が無かったら、確実に彼の目の前で狼狽えていただろう……。
笑い交じりの声で「了解」と答える森川の声を背中で受け、葵は幹に掴まりながら脚立の天辺へと上った。
その後ろで森川は葵の傍に移動していたが、瞬く間に目的の枝にまで辿り着いた彼女の動きに感心したような笑みを浮かべた。
「バランスいいね。体幹が強いんだな」
「へへっ」
ちょっと褒められた。
照れ臭さの中で難なく上れたという満足感が加わり、思わず可笑しな笑いが洩れてしまった。
「でも念のため、少しでもグラついたら背中押さえるからね?」
「あ…はい……」
それなら、初めからそう言って!
こっちは冗談を交わせるほどの余裕なんて無いんだから……。
しかし地上から2メートルを越えた視界は、地上から見上げる光景は全く違っていた。
太陽の光を浴びた鮮やかな枝葉が様々な色合いをもって広がっていて、葵は自分を取り囲む緑の情景を見渡しながら感動の溜め息を吐いていた。
今が春なら、どれだけ凄い光景が見られただろう……。
「その枝には、しっかり掴まっててね」
「はい。あ……これ……?」
しかしそんな美しい枝葉に隠れるようにして、その"傷口"はボロボロに朽ちていたのだ。
元は葵が掴んだ枝の斜め上に生えていた枝だったのだろう。
20センチ程の切り口を残したその部分は、黒く変色しながら腐り、幹に向かって10センチ程の亀裂を広げていた。
「あった?」
「はい……」
誰にも気付かれないような場所に作られた傷口。
葵はその亀裂を見つめながら、ふと、この古木が満開の花を咲かせていた春の光景を思い出していた。