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貴方だけに溺れたい
第5章 枷
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「おお、誰かと思った」
「ちょっと、こんな暑い時に打ち水なんてしたらノボせちゃうわよ?」
だから実際、弥生が来てくれた瞬間には本気で救われたような気持ちになったが、明らかに苛立ちを含む低い声に目を見向けると、言葉同様の忌々しげな表情がため息交じりに頷いていた。
機嫌が悪いのは察していたが、弥生がここまで露骨に苛立ちを見せるのは初めてかもしれない。
「ええ。"今すぐやれ"って言われたからやっただけで、私の意思じゃ、ありませんから」
「あらやだ、おっかない顔ね。誰かに言われたの?」
「竹村さんのところの旦那さん」
しかし、まさか此処でその名前を聞かされるとは思わなかった……。
「竹村さんが暑いから水撒きなさいって?」
「違う違う、違くも無いけど。うちのチビ達の落書きが汚いって言ってきたから洗い流してたんだけど、その時に言われた事がさ……なんかもぅ、思い出すだけでブッ殺してやりたくなる……」
「あらやだ。そんな言葉、子供達の前で使っちゃ駄目よ」
「子供らがいないから、使ってるんです。だってさ……聞いてくれる?」
「ええ、いいわよ。話してみなさい」
今にも爆発しそうな怒りを抑えるように話す弥生と、眉間に皺を寄せながらも、そんな彼女を宥めるように落ち着いた口調で応える陽子。
葵は二人のやり取りを聞きつつも、背中から全身に広がるようなぞわぞわとした嫌悪感を感じ始めていた。
勿論、"ぶっ殺してやりたくなる"というほどの怒りの理由は気になっている。
自分だけじゃ無い。
自分以外にも、あの男に対して憎しみを抱く相手がいるという同類意識にも似た安堵感もあった。
しかし反面では、その存在を意識するだけで拒否反応を起こしそうになる自分が、弥生の話を平常心で聞いていられるとも思えない。
弥生の話を聞いた後の葵が、そこに便乗して自分の話ができるかといえば、不可能だった。
"同性"として、或いは同じ"被害者"としての同情はあるのかもしれないけれど、話したところで何かが変わるわけでもない。
所詮は誰にとっても他人事であり、嫌な記憶を甦らせながら訴えたところで、それらは全て無駄でしか無いからだ。
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