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秘密のピアノレッスン
第15章 グラス
ブーツのファスナーを半分まで下げたが、脱ぐ気になれず、框の上で座ったまま、動けずに白亜の壁に寄りかかった。
何も知らなかった頃にはもう戻れない。

穏やかで優しげな父の香水とは違う、強そうな男の香り。
うまく言えないが、攻撃的で、まるで母のような、そんな……。

たまに、部屋に漂っていたいたこの香り。

なぜ、ずっと気付かなかったのだろう。
母は、こうしてここで、男の人と会っていたのに。
私が学校に行っている時、ピアノに行っている時、この家に引き入れて、あの男の人と、おそらくセックスをしていたのに。

私よりも、パパよりも大事な、その男と。


シャワーの音が止んだ。
私は、最後の力を振り絞ってブーツを脱ぎ、母に会わないように、急いで部屋まで駆け上がった。

部屋のドアを閉め、その場にへたり込む。
ドッドッと逸る鼓動を、無理やり深呼吸して静めようとするが、なかなか治まりはしない。

……先生に、メールを……。

思い立って携帯を探したが、レッスンバッグを玄関に置いてきてしまっていて、一瞬にして青ざめる。
見つかったら取り上げられちゃうかもしれない。
それだけならいいが、先生と、恋人になったと知れたら……、

どうか母があのバッグを手にしていないことを願いながら、母に見つからないよう、音を立てずに一歩ずつ階段を降りた。
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