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あの星に届かなくても
第2章 いびつな日常
午後四時四十分。
リビングの窓を開けて庭の奥を覗くと、日が暮れたばかりの薄明るい空の下、花壇の前にしゃがむ丸くて小さな背中が目に入った。
「おばあちゃん、行ってくるね」
土いじりをしている祖母に声をかければ、曲がった腰の向こうでしわしわの可愛い顔が振り返る。
「はいよ。気をつけて」
「寒くない? もう暗くなるから入りなよ」
「はいはい」
再び花壇に向き直るその姿を見守り、慧子は窓を閉めた。リュックを持ってリビングを抜けると、玄関でスニーカーを履いて外に出た。
自転車にまたがり、ペダルを強く漕いで勢いをつける。勤め先のドラッグストアまで十分ほど、冷たい風を受けながら川沿いの道をひた走る。ここは春になると桜並木となり、やがて薄桃色の絨毯をつくる。
慧子は基本的に午後五時から十時の夜間勤務。主婦の多い職場なので、ラストまで入れる人間は重宝される。
望月家は両親とも働きに出ていて、近所の図書館に勤める母が五時に仕事を終えて帰ってくるまで祖母は家に一人きりだ。一年前に祖父が死んでからその状態だったため、せめて自分がその間を埋められたらと思い、遅い時間のシフトを希望した。
職場に到着すると店舗裏の駐輪スペースに自転車を置き、通用口から中に入る。誰もいないバックヤードの奥にある休憩室の扉を開けると、ちょうど身支度を済ませた様子の紗恵がいた。
「あ、慧子ちゃん」
「紗恵さん、お疲れさまです」
「ねえ、聞いて」
紗恵が声をひそめた。
「なんですか。いいお相手見つかりました?」
「逆よ、逆。いい男がいないの」
色っぽい唇をすぼめた紗恵に苦笑を返し、慧子は肩から下ろしたリュックをロッカーに入れ、上着を脱いで共用のパイプハンガーに掛けた。