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あの星に届かなくても
第2章 いびつな日常
「なかなか難しいんですね」
「現実はこんなもんよ」
残念そうな声に頷きつつ、服の上からユニフォームを羽織り、ボタンを上まで閉める。
「ハードルを少しだけ下げてみたらどうですか」
「それは無理よ。一晩限りの夢を見るには、視覚的な満足感は絶対だから」
「……そういうもんですか」
「そういうもんです。妥協はしません」
綺麗な笑顔でさらりと見た目重視宣言をした紗恵は、「先に行ってるね」と囁き、ひとつに結ばれた艶髪をふわりと揺らしながら休憩室を出ていった。すらりとした体型にどこか艶かしさを秘める彼女を見ていると、女は三十を過ぎてから本来の色気を発揮しはじめるのだと思い知らされる。
紗恵は、慧子の三ヶ月前にここに入社したパート従業員だ。半年前に夫の仕事の都合でこちらに越してきたという。同じ時間帯の勤務ということもあり、彼女は慧子になんでも包み隠さず話すようになった。
遅い時間の勤務で家は大丈夫かと尋ねたことがあるが、子供はおらず、夫も帰りが遅いので構わないらしい。そのうえ、十歳上の夫との性生活はすっかり減ってしまったのだという。夜のお相手探しをするための出会い系アプリについては、一週間前に聞かされたばかりだ。
慧子は頭の後ろに手をやり、低めの位置でお団子にまとめた髪に乱れがないか確かめた。そして、休憩室のさらに奥にある部屋のスライドドアをそっと開けた。
「……市川さん。お疲れさまです」
椅子に座りパソコンに向き合っているその背中に、おそるおそる声をかける。振り向いた銀縁眼鏡の男は、今日もクールだ。
「ん、お疲れ。……風邪ひかなかった?」
「あはは、大丈夫ですよ」
「じゃあ今日もよろしくお願いします」
「はい」
さりげなく昨夜のことを気遣ってくれたのがわかり、慧子は安堵した。顔を合わせるまで、触れていい話題なのかと不安だったからだ。