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あの星に届かなくても
第5章 走りだした焦燥

 前方に店内を物色しながら近づいてくる客の姿を認めた村田は、さらに小声に、早口になる。

「このことはほかの人には黙っておくから。よろしくね」

 おとなしそうな顔に苦笑を浮かべた彼女は、慧子の返事を待つことなく、台車を押して「いらっしゃいませ」と客に声をかけながら去っていった。
 紗恵は出会い系アプリで知り合った男と会うと言っていたのに、市川とも……。その意味を考えれば考えるほど、どんよりとした猜疑心が湧きあがる。

――なんで私が落ち込んでるの。

 慧子は心の中で自嘲した。

「いらっしゃいませー」

 貼りつけた笑顔をすれ違う客に向けながら、狭い世界でうじうじ悩む自分を叱りつける。私は嫉妬できる立場ではない、と。
 俯き加減に勢いよく歩きだしたとたん、陳列棚の角から突然現れた人とぶつかりそうになってしまった。

「あっ、すみません」

 とっさに一歩退いて頭を下げると、上質そうな濃褐色の革靴とチャコールグレーのスーツが目に入った。

「こちらこそ前をよく見ていなくて申し訳ない」

 降ってきた穏やかな低音に、慧子はおそるおそる目線を上げていった。
 上品なスリーピーススーツに深みのあるボルドーのネクタイを締めた男性が、優しい笑みを浮かべて高い位置から見下ろしてくる。モデルのような端麗な顔立ちに、清潔感のある黒髪のオールバックが色気すら感じさせる。どこをとっても、この小さな町では浮いてしまう出で立ちだ。

「鉢合わせたついでに、訊きたいことがあるんだけど」
「は、はい」
「目薬はどこかな」
「ご案内します」

 笑顔で応じ、 慧子は男性をアイケアコーナーに案内した。ただそれだけのことなのに、彼は実に美麗な笑みをよこし「ありがとう」と言った。

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