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嫌がらせ
第1章 嫌がらせ
父の“嫌がらせ”を思い出した私は、父が指示する前に、自分の両手の親指をくっつけて、テーブルの上に置いた。
残り四本の指は、拳を作ってテーブルの下に隠すようにする。
「……準備はいいか?」
私は少し緊張気味に頷いた。
「うん」
────────────────
『あっ!? えー!! ヤダヤダっ!! 動けないよっ』
困り果てる私を見て、母と兄が爆笑する。
『助けてっ!』
『無理だ。これは嫌がらせだからな』
ビール片手に、ゲラゲラと笑いこける父を、私は涙目になって恨めしそうに見つめた。
────────────────
「……っ」
私はなるべく身体を揺らさないように、踏ん張るだけ。
テーブルに揃えて置かれた私の親指二本の上に、コップが置かれている。
コップにはたっぷり水が入っている。水をこぼさないようにするために、コップの土台となる親指の震えを極力抑えようと、私は全神経を指先に集中させる。
それは、傍から見れば滑稽な絵面だろう。
「……っ、くく」
「あ! 笑った! っていうかこれ、いつまでやってればいいの? 私」
「さあな」
「えぇっ!?」
母に生前、父のどこがよかったのかと聞いたことがあった。正反対の性格の二人がどう惹かれ合ったのか、子供ながらに私はとても興味があった。
────優しいところよ。
幼い私は、いつも渋い顔をしてむっつりと黙っている父のどこに“優しい”要素があるのか全く理解できなかった。
けれど今なら────
今なら、分かる。
「もう……やめてよお」
私は笑った。目に涙をたっぷりとためて。
いつかの家族四人の光景を思い出して
未熟だった自分を思い返して
父の優しさと愛情を身に染みて感じて────
「嫌がらせしないで、お父さん……っ」
「ははっ」
向かいに座る父の弾けた笑い声が聞こえる。
とても平和で、それでいて、とても微笑ましい────
父と娘の和やかな笑いが、賑わう寿司屋の中で、静かに響いていた────
────fin.