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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
 

恥じる気持ちすらアホらしくなって、こみあげる笑いを噛み殺した。
(アホやな。なんでもっと、はよ気づかんかったんやろ)と、昨日から心にのしかかかっていた重い枷(かせ)が外れ、いっぺんに気が楽になってしまった。

『姉には困ったもんやけど、僕からもよう言うとく。
 高田さんも、聞き流しといてくれたらエエよ。
 迷惑な思いさせて申し訳ない』

軽やかに言って、肩の力が抜けた哲夫が笑顔にほころぶと、真紀も神妙だった面持ちをにわかに解いて、

『ちょっと寄っていきませんか? 
 こんな大きいのひとりでは食べ切れませんから、
 社長も手伝(つど)うてください』

と言うや、車を降りた。身をかがめて車内を覗きこみ、

『二階の一番奥です。
 さき帰って、コーヒー淹れときますね』

と、有無を言わさない感じで告げ、ドアを閉めた。
車道を小走りに横切った真紀は、ハイツのある路地の角を曲がって行った。

哲夫はいっとき、肘置きに立てた腕に顎をのせて、あてなく窓外の宵闇に目をやった。
年増とはいえ、独居女の部屋へ招かれるまま上がっていいものか、と思う。
しかし、持ち重りしていた再婚の一件を思い違いと分別できた気楽さが、行ってはいけないと制する気持ちをすぐに上まわった。

(ま、ええやろ)

車を降りる前、ルームミラーでネクタイを直し、ついでに頭頂部を映してみた。
特別な夜になどなるはずがない、と心中で笑った。



 
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