この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
恥じる気持ちすらアホらしくなって、こみあげる笑いを噛み殺した。
(アホやな。なんでもっと、はよ気づかんかったんやろ)と、昨日から心にのしかかかっていた重い枷(かせ)が外れ、いっぺんに気が楽になってしまった。
『姉には困ったもんやけど、僕からもよう言うとく。
高田さんも、聞き流しといてくれたらエエよ。
迷惑な思いさせて申し訳ない』
軽やかに言って、肩の力が抜けた哲夫が笑顔にほころぶと、真紀も神妙だった面持ちをにわかに解いて、
『ちょっと寄っていきませんか?
こんな大きいのひとりでは食べ切れませんから、
社長も手伝(つど)うてください』
と言うや、車を降りた。身をかがめて車内を覗きこみ、
『二階の一番奥です。
さき帰って、コーヒー淹れときますね』
と、有無を言わさない感じで告げ、ドアを閉めた。
車道を小走りに横切った真紀は、ハイツのある路地の角を曲がって行った。
哲夫はいっとき、肘置きに立てた腕に顎をのせて、あてなく窓外の宵闇に目をやった。
年増とはいえ、独居女の部屋へ招かれるまま上がっていいものか、と思う。
しかし、持ち重りしていた再婚の一件を思い違いと分別できた気楽さが、行ってはいけないと制する気持ちをすぐに上まわった。
(ま、ええやろ)
車を降りる前、ルームミラーでネクタイを直し、ついでに頭頂部を映してみた。
特別な夜になどなるはずがない、と心中で笑った。