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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
『いや、おいしそうやわァ』
箱を開けた真紀が嬉しそうな声をあげる。
『僕はちょっとでエエで。薄ぅいのん。
甘いのはアカン』
本当は甘いものが嫌いではない哲夫だが、いい歳をした男が、甘いものに幸せを感じている姿を見せるわけにはいかない。
『ここのん有名ですよね。
並ばんと買えへんらしいですねェ』
箱に添えられた小さなパンフレットに顔を寄せて真紀が言うと、
哲夫は、「たしかに! 並んで買(こ)うた!」とも言えず、『そうらしいなァ』と曖昧な相槌を打った。
キッチンでロールケーキを切り分けている真紀を眺めながら、ジーンズにアクアブルーの長袖シャツという、事務所で眼にするものと違うくだけた身なりに新鮮味を感じた。
ここ十年、女が台所に立つ姿は姉以外に見ていない。
細身でスタイルの良かった美里と違い、姉はぽっちゃりと肥えている。
キッチンに立つ真紀の後ろ姿はほっそりと見目良く、ぴたりと張り付いた細身のパンツが下半身の線を映し出していて、それも格好がいい。
『高田さんは、なに着ても似合うんやなァ』
見たままを何の気なしに言葉にして、哲夫は(しまった!)と小さく息をのんだ。
女の体を男の視線で舐めていました、と自己申告するようなものである。
ケーキを皿へ移しかえる真紀は、肩越しに横顔を見せて、
『社長がお世辞なんて珍しいですね』
と笑ってくれたが、彼の頭の中にはセクハラの文字が浮き沈みした。
『いやいや、お世辞やない……』
不実をはたらいたような気がして口をつぐんだ。
話の接ぎ穂を見つけられず腕時計を見る。七時を回ろうとしていた。