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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
 

静寂を破って、ふいに椅子を引く音が響いた。
哲夫の背後に女の匂いが立ちこめる。

『忘れんでも、エエのと違いますか』
 
真紀は言った。かろうじて聞き取れるほどの声で。

『忘れんでも、私はかまいません。
 それでも……どうしても忘れなあかんのやったら、
 私を使(つこ)てください……』

羞恥を押し殺した真紀が、哲夫の背に額をもたせかけた。
まごつく男の事情をすべて汲みとるかのような温かみが、背中に沁みこんでゆく。
それは、はぐらかしようのない愛の告白だった。

『ありがとう、高田さん、僕な……』

胸に石がつまったように返す言葉を失っていった。
真紀は甘えかかったのではない。
煮えきらぬ男のために操を破って挺身すると言ってのけたのである。
おそらくは女の矜持のすべてを賭けて―――。
その勇気に哲夫は男として応えなければならない。

『僕もな……』

気色ばんで振り返り、真紀の肩をつかんだ。
このままでは、真紀に恥をかかせてしまう。
だが言葉にするには事の次第があまりに急すぎて、本心を言いよどんだ。
見苦しくなってはいけないと、奮い立たせるように咳払いをしたとき、真紀が顔を上げた。

『今は、無理に言わんでもいいんです』

きっぱりと、されども優しい真紀の声に胸の嵐を鎮められ、哲夫の肩から力が抜けた。
高田真紀という人間の思慮深さと暗黙知に、彼は感謝しなければならなかった。
一緒に働いてきた五年の間、哲夫の憂いを察してこなければ言えぬひとことだった。

『高田さんは慈悲深い人やな』

『いいえ、慈悲と違います。
 お慈悲が言えるほど、私も幸せやないんです』

その言葉に込められた意味を理解する前に、哲夫は、ふいに優しく抱きしめられたような心地よさをおぼえ、さらには自分をとり巻いていた自罰の鎖がほころぶのを感じた。

忘れられへんのなら、せめて違う窓を覗いてみ。
その眺めが目に馴染むまで、時間がかかるかもしれんけど―――。

いくつもの、姉とも美里ともつかない誰かの声を、頭の奥で聞いたような気がした。
そして口にはできなかったが、真紀を(ええオンナやなァ)と思い、シアワセになってもいいではないかという考えが、違和感なく胸の内に広がっていった。



 
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