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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
『まだ小学生でした。
帰りが遅いのん心配してたら、警察から電話かかってきて、
お宅の息子さん帰ってますか、て。
両親も私もみな動転してしもて、
それで、病院行ったらやっぱり弟やったんです。
両親はその場でへたりこんで大きな声で泣いてました。
特に母がひどくて……』
息子を喪ってから真紀の母親は、家事もせず息子の部屋で一日中ぼんやりしていたり、急に家の前の道を裸足で駆け回ったり、そうした奇行が治まっても、ショッピングモールの子供服売り場で呼吸困難に陥って病院へ運ばれる、といった精神不安定な状態が続いたのだという。
『そら、つらいことやったなぁ』
『ええ。母が落ち着くまでに時間かかかりました。
そやけど私はまだ中学生で、事の重大さが解ってなかったのか、
病院で弟の亡骸(なきがら)見た時点で妙に安心したんです。
病院へ着くまでの、弟が死んでたらどうしよ、
っていう不安からいっぺんに開放されて、
おかしな話ですけど、なんやホッとしてしもたんです。
弟、死んでるのに……。
あのときは、ほんまに変な気分でした。
もちろん哀しかった。哀しかったんですけど、
弟が死んだことより、事故に会(お)うたのが、
ほんまに弟なんかどうかがハッキリせんまま、
家族で病院へ向かう車の中の、
なんとも言えん重たぁい雰囲気が恐ろしかった。
あのときウチの車は、不幸を詰めこんで走ってたんです。
今も思い出すのは、生きてた頃の弟やのうて、
車の中で母親の手ェ握って震えてる自分です。
生きてる人間が底なしの穴へ引きずられていくような、
あんな気持ちは二度と味わいたないです』
悲しみがつきあげたのか、一瞬、見開いた真紀の瞳はすぐに弱々しくなった。