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滲む墨痕
第2章 顔筋柳骨
兄の急逝、そして父の病。もう戻ることはないと思っていたこの家に帰ると決心してから三ヵ月半。たったそれだけの間に、十年以上かけて心に蓄えてきたはずの余裕がすっかりどこかに消えてしまった。
潤に触れることを忘れ、夫婦生活から遠ざかっていた。忙しさのせいにしていた。まだ三ヵ月だ、彼女も疲れているだろうし、互いに余裕ができてからでいい。そう思っていた。今日、彼女が藤田千秋の書道教室に行くまでは。
あの書をまるで宝物のように扱う潤を見て、彼女の変化はあの個展を訪れた直後からだったと、誠二郎は改めて確信した。
互いの小さな異変に気づきながらも、互いに気づかないふりをしてやり過ごす。夫婦というものは滑稽な関係だ。
――親父とお袋みたいに。
古い照明器具の薄気味悪い常夜灯の下、隣の布団で静かに寝息を立てる妻の気配を感じながら、誠二郎は心の中で呟いた。