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滲む墨痕
第5章 尤雲殢雨

 耳の横で息を呑む気配がしたあと、湿った吐息が鼓膜を撫でた。

「潤……」

 締めつけられるような熱い抱擁、そして――。

「僕はもう待たない」

 その低音が脳を貫いた瞬間、唐突に意志が芽生えた。自身を取り巻くすべてを投げうってでも、魂の叫びにも似たこの静かな声を一番近くで聴いていたい、と。
 そして、ようやく気がついた。長いこと自分自身でさえそうであると思い込んでいた、無知で弱い女として生きることを終わりにしたいのだ、と。

「もういいの」

 潤は誰に言うともなく呟き、厚い胸板に沈めている背をしなやかにひねった。
 男の太い首に指を添え、その頬に唇でそっと触れる。惚(ほう)けた顔でため息をついた男がよこす唇を受け入れ、柔らかなキスを交わす。

「連れていって……」

 ひらいた唇の隙間に想いを放つと、藤田が返事の代わりに優しく目を細めた。
 素肌の感触と体温、そして息遣いだけを感じる湯船の中、すべてから解放されるような錯覚に陥る。まぶたを下ろして視界を覆い隠した潤は、今一度彼の熱い身体にもたれかかり、深く息を吐いた。



尤雲殢雨(ゆううんていう)=男女の情交のこと。寄り添って睦み合う、しなだれかかるさま。





あけましておめでとうございます。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。寒い日が続きますが、ご自愛ください。
第五章はこれにて終了です。遅筆にお付き合いいただきありがとうございました。睦み合うふたりが今後どうなるか、次章の公開を楽しみにしていてください。
今年も愚直に頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。
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