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滲む墨痕
第3章 雪泥鴻爪
「こんにちはー!」
男の子の元気な声が耳に届いた。生徒を迎えにいくため、昭俊は静かに腰を上げた。
玄関に顔を出すと、そこには菊池智(とも)がいた。涼しげな目元が母親にそっくりな小学一年生だ。
「智君、こんにちは。今日もおばあちゃんに送ってもらったの」
「うん。お母さん仕事だから」
「そうか。さ、おいで」
「おじゃましまーす!」
「はい、どうぞ」
靴を脱いで家に上がった智の小さな手を取り、部屋に戻る。
障子が開けられた瞬間、そこに大好きなお姉さんを見つけた智は昭俊の手を振りほどき、黙って彼女の隣に正座した。綾華は表情を変えず、ひたすらに墨を磨りつづける。智はそんな彼女の横顔を気にしながら、自身も静かに書道バッグから道具を取り出して並べ、背筋を伸ばした。
微笑ましい光景におのずと口角が上がる。昭俊は智が座る机の前に膝を落とし、穏やかな眼差しを向けた。
「智君、今日はどんな字を書こうか」
智はその問いには答えずに、隣で精神を研ぎ澄ませている綾華を一瞬ちらりと窺うと、その綺麗な瞳で昭俊を見つめた。