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いつかの春に君と
第1章 桜のもとにて君と別れ
…その男はある日、突然やって来た。
救護院の職員達が、慌てて鬼塚を始め少年達の身繕いをさせると、玄関ホールに一列に並べた。

男は四十絡みのまるで欧米人のような逞しい体躯に長身の身体をしていた。
黒い軍帽、黒ずくめの軍服には夥しい数の銀色に光る勲章が着けられていた。
頑強そうな腰には黒革のベルト…そして黒光りするホルダーに包まれた短銃が見えた。
長い脚を強調するような黒い洋袴…貌が映り込みそうなほどに磨き込まれた黒革の長ブーツ…。

…今日来るやつは、憲兵隊の大佐らしいよ…。
なんだってこんなところに?
知らないよ。単なる見回りなんじゃないか?

情報通の少年らのお喋りを思い出す。
…初めて見る上級将校の出で立ちに、鬼塚は息を飲んだ。
男は部下二人に傅れながら、鬼塚ら少年の前をゆっくりと値踏みするように睥睨しながら歩き出した。

木の床をコツコツと高級なブーツの踵の音が冷たく鳴り響く。
…ブーツの靴音はやがて鬼塚の前で止まった。

男は鬼塚に近づき、黒い革手袋に包まれた指で鬼塚の顎を持ち上げた。
「その眼はどうした?」
白い眼帯に包まれた眼を指摘され、後ろに控えていた救護院の院長が慌てて答えた。
「自分で転んで…木の根に誤って刺したんです」

反射的に鬼塚は叫んでいた。
「孤児院の神父に殴られて潰れました」
院長が鬼塚の手を強く引いた。
「こら!出鱈目を言うな!」
「出鱈目じゃない!本当だ!」
他の職員らが駆けつけ、鬼塚を連れ去ろうとする。
憲兵隊の将校が手を挙げ、彼らを制する。
職員らが鬼塚を解放する。

「詳しく聞かせろ。どうしたんだ?」
鬼塚は淡々と話し始めた。
「…神父が俺の妹に乱暴を働いたんです。だから俺が妹を救い出そうとしたら、奴は俺の眼を殴りました。
それから俺の首を絞めようとしたので、奴をナイフで刺して殺しました。
だからここにいます」
その場が、一斉に水を打ったように静まり返る。

将校は部下から手渡された書類に目を通し、鬼塚を興味深そうに見た。
そうして、一言だけ質問した。
「人を殺したことに後悔は?」
間髪を入れずに、鬼塚は答えた。
「全くありません」

将校は愉快そうに笑い出した。
笑いが収まると部下に書類を渡し、院長に告げた。
「こいつを連れて行く。直ぐに手続きをしてくれ」

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