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女鑑~おんなかがみ~
第15章 幻滅
佐伯は孝秀を伴って上品な小料理屋へ入った。
おでんと聞いて屋台を想像していた孝秀は思わず躊躇した。
「先生,このようなお店は・・・」
「君が気を遣うことはありませんよ」と佐伯は穏やかに言った。

「佐伯先生,どうして私などに,ご親切にしてくださるのですか」
座敷で席に着いた孝秀は思っていたままを尋ねた。
「君は,ほかの先生たちよりも勉強家で優秀だ。それにくだらない話をせず寡黙であるというのがよいのですよ」
「ありがとうございます」
「どうしてでしょうかね。夜学の代用教員などはいろいろと訳ありの者が多いですが,教員室で下卑た話題を口にするようなことはやはり望ましくありませんからね。
その点,君は,そういう話題を遠ざけている。これは立派なことです」
「はあ,まあそういうことには縁がないもので」
孝秀はあたりさわりなく答えた。
それから佐伯は熱燗を頼み,孝秀も一緒に飲んだ。もう22歳にもなるのに酒というものをほとんど飲んだことがなかったが,弱くはないほうではあるようだった。

「それに君は,博学ですね。私が教えている博物学の分野にもお詳しいので驚きました。私が描いた木の名前をすべて言い当てたのは君しかいなかったです。クロマツだのイチイだのとすぐにわかる人間は少ないですよ」
「お恥ずかしい限りで,詳しいのは木のことだけです。動物も鳥も詳しくはありません」
孝秀はつい,実家が材木問屋で,と言いそうになったがやめた。
身の上のことはなるべくなら知られたくない。

佐伯のほうは,少し酔いが回ったらしく,教員室にいるときよりもはるかに饒舌になった。
「木は良いものですね。何よりも煩くないというのが好ましい。静かに根を張り,定めに身を任せながら,我々よりはるかに長い命を生きる。切られて木材になったのちも,静かに千年を超えて生き続ける」
「そうですね。以前,先生がお描きになった木の絵を拝見して心を動かされました。」
「ああ,昔,建築資材の広告用に頼まれて描いたものですね。あまり金にはなりませんでしたが。」
「先生は,いろいろな絵をお描きになるのですね」孝秀は話を合わせた。

そのうちに,おでんがいろいろと運ばれてきて,最初は遠慮がちであった孝秀も気が付けば食べるのに夢中になっていた。
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