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女鑑~おんなかがみ~
第15章 幻滅
孝秀は,おでんの大根やタコを夢中で味わった。
中学を卒業するまでは家にいたので,毎日女中が手の込んだ料理を作ってくれており,食べることに不自由を感じたことはなかった。高等商業の寮に入ってからは,寮の賄いはあまり旨いとは思えず,ときには友人とうどん屋へ行ったり,ライスカレーを食べたりすることもあったが,それでも,一人で東京に出てきてからの生活に比べると天国のような環境だったと思う。
今では,具の入っていないうどんや,梅干しのたくあんの握り飯しか食べていない。
「よほど,お腹がすいていたのではないですか。良い食べっぷりですね」
佐伯は苦笑しながら,盃を口に運んでいた。
孝秀は最初に二度ほどは佐伯に酌をしたが,佐伯は途中から,
「君はそのようなことを気にせずお食べなさい。私も手酌のほうが気楽ですから」と言い,孝秀は恐縮した。

「ところで,君,結婚をするつもりはありますか」
唐突に佐伯に尋ねられ,孝秀は思わず蒟蒻をのどに詰めそうになった。
「え,あ,そ,それは・・・」
「いえ,そんな驚かせるつもりはありませんがね。
別に気が進まないのならよいのですよ。ちょうど私の姪が,君より二つ下でしてね。これの母親である,私の末の妹が,誰か紹介してくれとせっついてきたもので。ふと,真面目そうな青年である君の顔が浮かんだ,それだけのことです。別に義理を感じる必要もなにもありません。お気になさらずに」
「あ,その,申し訳ありません」
孝秀の脳裏に,忘れようとしていた諸々のことがよぎった。
「おや,これは,急に固くなってしまったのですね。私は悪いことを聞いてしまったかな。
さっきまでの豪快な食べっぷりがうそのようではありませんか。
では,この話題はやめましょう。君の好きな木材の話でもしましょうか。」
「あ,いえ,あの,佐伯先生には奥様は・・・」
孝秀は緊張のあまり,相手と話題を合わせようと躍起になって尋ねた。
「おや,君は意外とご結婚にも前向きなのでしょうかね。妻ですか。以前はいました」
静かな語り口につられて頷いてから,孝秀はハッと気づき,慌てて謝った。
「失礼をいたしました。立ち入ったことをお聞きして申し訳ありません。」
「そんなに恐縮してばかりは身が持ちませんよ。」佐伯は穏やかに笑った。
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